世界大百科事典(旧版)内の《吸血鬼ドラキュラ》の言及
【狼男】より
…スウェーデン大司教オラウス・マグヌスOlaus Magnusは,16世紀中葉,プロイセン,リウラント,リトアニア一帯に跋扈(ばつこ)した,これと同種の狼に変身する男たちから住民が受ける損害を,〈自然の狼からこうむる損害より重大である〉と記録している。 近代文学における狼男変身のテーマやイメージは人間のなかにひそむ獣性もしくは劣性の分身の先祖返り的発現として,R.L.スティーブンソンの《ジキル博士とハイド氏》(1886)やB.ストーカーの《吸血鬼ドラキュラ》(1897)などに造形され,《キング・コング》(M.C.クーパー,A.B.シェードザック監督,1933)のような大衆映画の源泉ともなっている。【種村 季弘】。…
【怪奇映画】より
…ロベルト・ウィーネ監督の《カリガリ博士》(1919)がその典型で,〈怪奇映画の真の青写真〉と呼ばれ,〈狂人博士―怪物―襲われる美女〉のパターンをつくった映画ともいわれている。次いでブラム・ストーカー原作《吸血鬼ドラキュラ》の初の本格的な映画化であるF.W.ムルナウ監督の《ノスフェラトゥ》(1922)が現れる。すでに,大戦1年目の14年に,《ノスフェラトゥ》の脚本を書いたヘンリク・ガーレンの脚本,シュテラン・ライとパウル・ウェゲナー監督で,ユダヤ伝説による《ゴーレム》の初の映画化が行われるなど,サイレント期のドイツ映画が,怪奇と幻想映画の源流であったのは確かである。…
【吸血鬼】より
…中でもレ・ファニュの《カーミラ》(1872)は,恐怖美に満ちた女吸血鬼をめざましく描いた作品である。一方,1897年にはストーカーの《吸血鬼ドラキュラ》が出て,吸血鬼はロマン主義的な孤独で〈高貴な旅人〉としてふたたび男性化される(ドラキュラ)。以来吸血鬼はそのときどきに性を変えながら映画・演劇を通じて大衆化されることになる。…
【ストーカー】より
…ダブリン大学ではO.ワイルドの学友であった。卒業後,名優H.アービングのマネージャーを27年間務め,かたわら小説《吸血鬼ドラキュラ》(1897)を発表して名を成し,その怪奇趣味のゆえに〈最後のゴシック・ロマンス作家〉と評された。なお,彼の作品によって定着した鋭い歯を持つ瘦身の吸血鬼像は,《千夜一夜》の翻訳者R.バートンがモデルだという。…
【ドラキュラ】より
…ストーカーの小説《吸血鬼ドラキュラ》(1897)の主人公の名。ルーマニア,トランシルバニア地方の城主ドラキュラ伯爵は,死後も人間の生血を吸って生きながらえ,生贄をもとめて世紀末のロンドンに現れる。…
【ハマー・プロ】より
… 本格的にスタートしたのは,第2次世界大戦後の47年からで,71年以降,ハマー・プロの社長となったマイケル・カレラスは,エンリック・カレラスの孫である(それ以前は製作,演出などを担当)といったふうに,同族会社的カラーが強い。代表作としては,《原子人間》(1955)に始まる怪奇SF三部作《クォーターマス博士》シリーズ,《フランケンシュタインの逆襲》(1957)に始まる初のカラー版のどぎつさが売物の《フランケンシュタイン》シリーズなどがあるが,このマイナー・プロダクションの名を一躍高からしめたのは,《吸血鬼ドラキュラ》(1958)に始まる《ドラキュラ》シリーズで,ドラキュラ役のクリストファー・リー,ヘルシング博士役のピーター・カッシングの〈宿敵コンビ〉の対決が見もの,売物となった。ハマーの代表的な監督として,バル・ゲスト,テレンス・フィッシャーらがいる。…
※「《吸血鬼ドラキュラ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」