《女子教育論》(読み)じょしきょういくろん

世界大百科事典(旧版)内の《女子教育論》の言及

【宗教教育】より

…ルーアンにキリスト教学校修士会を創設したJ.B.ラ・サールやリヨンのC.デミアによる宗教教育を中心とした貧民の無償教育も,この政策に呼応したものであった。女子修道会〈新カトリック〉を指導したフェヌロンの《女子教育論》(1687)も,貴族の娘たちをキリスト教の立場から良妻賢母として育成することを目的としたものであった。 18世紀中ごろになるとフランスでは動揺しはじめた絶対主義体制を補強し,王権を強化する立場から,ウルトラモンタニズム(教皇至上主義)に対する批判が強まり,この主義をとるイエズス会がフランス全土から追放され,彼らの経営するコレージュは閉鎖された。…

【フェヌロン】より

…85年ナントの王令廃止後サントンジュ地方のプロテスタント改宗指導に派遣された。求めに応じて書かれた《女子教育論》(1687)は,女子が自然から授かった天性を伸ばすよう説いた,この時代では斬新な見解を述べたもの。89年ルイ14世の孫で王太子のブルゴーニュ公の師傅に任ぜられ,王太子のため《寓話》《死者たちの対話》,そして有名な《テレマックの冒険》を執筆した。…

【モア】より

…また,日曜学校による貧民教育などの慈善事業を実践。他方,女性および女子教育の現状を批判する《女子教育論》(1799)は,男女の社会的不平等を神の意志として肯定しながら,女性のうちに宗教的精神の覚醒を図ろうとするものである。【河村 貞枝】。…

※「《女子教育論》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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