《子供の時間》(読み)こどものじかん

世界大百科事典(旧版)内の《子供の時間》の言及

【偽りの花園】より

…この作品の前に,すでにオーソン・ウェルズ監督の《市民ケーン》(1941)において画期的な〈パン・フォーカス〉撮影を試みた名カメラマン,グレッグ・トーランド(ワイラーとは《白蛾》(1934)から《我等の生涯の最良の年》に至る名コンビである)が撮影を担当した。ヘルマンは出世作《子供の時間》(1934初演)が映画化される際,ゴールドウィンの依頼でみずからシナリオを書き,次いでシドニー・キングスレーの舞台劇《デッド・エンド》,そして《小狐たち》を脚色。3作ともワイラーが監督している(《子供の時間》は《この三人》の題で映画化され,さらに61年に同じワイラー監督でリメークされた。…

【ヘルマン】より

…アメリカの劇作家。人間性あるいは人間の尊厳を貴ぶ姿勢のきわめて強い創作態度で知られ,屈折した心理や悪の描写にすぐれる。神経症的な意地の悪い女生徒がついた噓のために同性愛者とみられ,名誉と社会的地位を失う女教師たちの物語《子どもの時間The Children’s Hour》(1934)によって劇壇に登場,南部の一家の物欲を描いた《小狐たちThe Little Foxes》(1939),迫りくるファシズムの危険をとらえた《ラインの監視Watch on the Rhine》(1941)など,メロドラマ風の構成と衝撃的な題材をもった作品によって地位を確立し,第2次大戦前のアメリカを代表する劇作家となった。…

【ワイラー】より

…パリで母の遠縁に当たるハリウッドの大立物(ユニバーサルの設立者)カール・レムリに会い,ユニバーサルの宣伝部をへて,1925年に23歳で監督となり,40本あまりの〈2巻もの〉の西部劇をつくった。 36年,サミュエル・ゴールドウィンと契約し,女流劇作家リリアン・ヘルマンの処女作《子供の時間》の映画化《この三人》(1936。なお,この作品は1961年にも再度映画化され,日本では《噂の二人》の題で封切られた)をはじめとして,シンクレア・ルイスのベストセラー小説の映画化《孔雀夫人》(1936),シドニー・キングズリーのヒット舞台劇の映画化《デッド・エンド》(1937),エミリー・ブロンテの小説の映画化《嵐が丘》(1939),サマセット・モームの小説(《手紙》)の映画化《月光の女》(1940),さらにリリアン・ヘルマンの舞台劇(《小狐たち》)の映画化《偽りの花園》(1941)等々の文芸映画や,西部劇の秀作《西部の男》(1940)など,多彩な分野で数多くの話題作をつくった。…

※「《子供の時間》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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