《弁顕密二教論》(読み)べんけんみつにきょうろん

世界大百科事典(旧版)内の《弁顕密二教論》の言及

【空海】より

…814年には日光山の勝道上人のために碑銘を撰し,815年4月には弟子の康守,安行らを東国に派遣し,甲斐,常陸の国司,下野の僧広智,常陸の徳一らに密教経典の書写を勧め,東国地方への布教を企てた。このころ《弁顕密二教論》2巻を著し,816年5月,泰範の去就をめぐって,最澄との間に密教理解の根本的な相違を表明してついに決別した。 同年7月,勅許を得て高野山金剛峯寺を開創したが,819年ころから《広付法伝》2巻,《即身成仏義》《声字実相義》《吽字義(うんじぎ)》《文鏡秘府論》6巻,820年《文筆眼心抄》などを著述して,その思想的立場と教理体系を明らかにした。…

※「《弁顕密二教論》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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