世界大百科事典(旧版)内の《恋愛三昧》の言及
【ドイツ映画】より
…これらの会社はすべて,蓄音機のレコードと映写機のフィルムを等速回転の軸で連結した原始的で幼稚なものにすぎなかったものの,すでに〈ものいう映画sprechender Film〉をつくっていた。しかし,《ウィンザーの陽気な女房たち》《リゴレット》などのオペラを歌と音楽入りで舞台そのままに撮影しただけのもので,まもなく観客に見捨てられ,フランスから輸入された〈文芸映画〉(フィルム・ダール社製作のサラ・ベルナール主演作品など)に人気が集まり,これにならってシラー原作の《ドン・カルロス》(1910),シュニッツラー原作の《恋愛三昧》(1912)などの〈文芸映画Literarischer Film〉がつくられた。それを機に映画の社会的評価が高まり,作家や演劇人たちが協力しはじめ,ドイツ映画は〈キーントップKientopp(活動)〉から〈キノKino(映画)〉,さらに〈フィルムクンストFilmkunst(映画芸術)〉への第1歩を踏みだして,第1次大戦を迎えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」