《新ライン新聞》(読み)しんらいんしんぶん

世界大百科事典(旧版)内の《新ライン新聞》の言及

【マルクス】より

…その当時,ドイツ人労働者(職人)の共産主義組織〈義人同盟〉に分派闘争が発生,旧来のカリスマ的指導者W.ワイトリングを追い落とした新指導部のK.シャッパーやJ.モルたちと連携して〈共産主義者同盟〉に改組(1847),この組織の綱領として《共産党宣言》(1848)を執筆した。48年,ドイツ三月革命が勃発すると帰国,ケルンを拠点にして活躍し,《新ライン新聞》を刊行する。しかし,革命運動の敗北後,亡命地ロンドンで再結集した共産主義者同盟中央指導部が50年秋に分裂,マルクス,エンゲルスたちは中央委員会でこそ多数を制したものの実質的には少数派に転落,やがて〈ケルン共産党裁判〉で組織が壊滅した。…

【48年革命】より

…また議会外の運動を結集しようという民主主義者の試み(6月14~16日のフランクフルトにおける第1回民主主義者会議)も一部の地域を除いて必ずしも成功しなかった。マルクス,エンゲルスらの《新ライン新聞》による活動はこうした民主主義者の運動と労働者の運動を結びつける方向を模索していた。
[民族運動]
 民族運動に目を向けてみよう。…

※「《新ライン新聞》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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