世界大百科事典(旧版)内の《旗艦》の言及
【富沢赤黄男】より
…本名は正三。早稲田大学在学中に俳句に関心をもち,1935年に日野草城の《旗艦》が創刊されると,〈秋風の下にゐるのはほろほろ鳥〉などを同誌に発表した。青春の鬱屈した心情を現代詩に多い用語で表現した赤黄男は,同時代の感情の表現を志向していた当時の〈新興俳句〉のホープとみなされた。…
【日野草城】より
…27年には第1句集《花氷(はなごおり)》を上梓,その句風は〈わび〉的俳句概念を払拭した才気煥発,清新瀟洒なモダニズムで,昭和俳句の先駆的役割を果たした。35年,俳誌《旗艦》を創刊,無季容認の立場から新興俳句運動の重鎮として活躍した。戦後は病床にあって49年《青玄》を創刊,人生的な深まりを示す清澄沈潜の句境に至った。…
※「《旗艦》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」