世界大百科事典(旧版)内の《日本紀竟宴和歌》の言及
【日本紀講筵】より
…宴席では,《書紀》中の聖徳帝王,有名諸臣を題として各自が和歌を作り,その詠歌の声に応じて大歌御琴師が倭琴を弾じ,終わって博士,尚復らが禄を賜って退出した。そのときの和歌は《日本紀竟宴和歌》として,延喜,承平度のものがよく残っている。 講筵はほぼ30年間隔で開かれていて,宮廷の人々がみな一生に一度はこれに触れる機会があるように配慮されていたごとくであり,博士はふつう前回に尚復などを務めた者の中から任命され,前後の講究の一貫性も重視されていたようである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」