《楠昔噺》(読み)くすのきむかしばなし

世界大百科事典(旧版)内の《楠昔噺》の言及

【太平記物】より

…特に大塔宮,楠木正成,新田義貞ら南朝方の人物に関連のある事件を取り上げたものが多い。浄瑠璃では,1710年(宝永7)大坂竹本座の《吉野都女楠(よしののみやこおんなくすのき)》,14年(正徳4)秋以前竹本座の《相模入道千匹犬(さがみにゆうどうせんびきのいぬ)》などといった近松の作品を初めとする諸作のうち主要な人気曲としては,23年(享保8)2月竹本座の《大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)》,46年(延享3)正月竹本座の《楠昔噺》,65年(明和2)2月竹本座の《蘭奢待新田系図(らんじやたいにつたけいず)》,70年正月江戸外記座の《神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)》などがあげられよう。一方,歌舞伎でも,1699年(元禄12)正月大坂の音羽次郎三郎座の二の替り狂言《太平記》十番続,同三の替り《後醍醐天皇隠岐の配所》,1713年3月京都の亀屋座の《女楠》,同年11月江戸中村座の《女楠太平記》,27年11月同座《八陣太平記》以下,さまざまな作品が行われていたが,やはり上記の浄瑠璃諸曲を改作したものが好まれて繰り返し上演されている。…

【並木宗輔】より


[竹本座時代]
 1745年(延享2)に浄瑠璃界に復帰,並木千柳と改め,豊竹座に対立する竹本座の作者となり,50年(寛延3)までに2世竹田出雲,三好松洛らとの合作で,10作(ほかに江戸肥前座のために1作)を著した。延享・寛延期(1744‐51)は〈操り段々流行して歌舞伎はなきが如し〉(《浄瑠璃譜》)といわれた時代であるが,この人形浄瑠璃全盛期を現出せしめた戯曲面の主力が並木宗輔で,《菅原伝授手習鑑》(1746),《義経千本桜》(1747),《仮名手本忠臣蔵》(1748)および《軍法富士見西行》(1745),《夏祭浪花鑑》(1745),《楠昔噺》(1746),《いろは日蓮記》(1747,江戸肥前座,現行曲《日蓮聖人御法海》),《双蝶々曲輪日記》(1749),《源平布引滝》(1749)と,日本戯曲史上の傑作が次々と生み出された。これらの作品は,義太夫,近松以来の竹本座の伝統と,人形遣い吉田文三郎,太夫竹本此太夫ら優秀な演技陣とに相応した,雄大で変化に富む構想,均斉のとれた構成,華やかな舞台表現等を備え,主題の面では,豊竹座時代の暗さが緩和され,一種の無常観に立って,巨大な運命の前に弱小な存在にすぎぬ人間の営みを淡々と描くに至っている。…

※「《楠昔噺》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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