世界大百科事典(旧版)内の《牝鹿》の言及
【ニジンスカ】より
…21年同バレエ団に復帰してからは古典の改訂(《眠れる森の美女》)や新作の上演に目ざましい成果を見せ,バレエ史上まれな女性振付師となった。兄の作風をつぐ《結婚Les noces》(1923,音楽ストラビンスキー),ローランサンの美術の特徴を巧みに生かした《牝鹿Les biches》(1924,音楽プーランク)が代表作。38年以降アメリカに定住し,子弟の養成につとめた。…
【プーランク】より
…詩人コクトー,作曲家サティを師とする,いわゆる〈六人組〉の一人として,フランスの伝統音楽に立脚した単純さや明晰さを理想とする新古典的作風から出発。1924年にバレエ・リュッスによって初演されたバレエ曲《牝鹿》の成功によって,ヨーロッパ中にその名を知られる。第2次大戦中はパリにとどまり,バリトン歌手ベルナックPierre Bernacの伴奏者を務めるとともに,占領下のレジスタンス運動に音楽を通じて参加し,P.エリュアールやL.アラゴンの詩に作曲した。…
※「《牝鹿》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」