《玉海集》(読み)ぎょっかいしゅう

世界大百科事典(旧版)内の《玉海集》の言及

【貞室】より

…野心的で自負心が強かったため,同門の諸家と争うことが多く,亡母追善の自注百韻《俳諧之註》(1632)を批判された腹癒せに,《氷室守(ひむろもり)》(1646)を出して重頼の《毛吹草(けふきぐさ)》(1645)を難じたり,《五条百句》(1663)を匿名で出版,同門の諸家を酷評し自己を賞揚したり,貞徳の没した翌54年(承応3)の歳旦吟で,貞徳直系の後継者を装って人びとの顰蹙(ひんしゆく)を買ったりした。しかし貞徳からは才を認められ,1648年(慶安1)刊《正章千句》に破格の批点を得,3年後には点者を許され,56年(明暦2),遺命によって貞門の代表的撰集《玉海集》を編集刊行,霊前に捧げた。作風は正統的でしかも俳諧性が豊かであったため,後年芭蕉ら蕉風俳人たちから俳諧正風の祖と仰がれた。…

※「《玉海集》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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