《社会新報》(読み)しゃかいしんぽう

世界大百科事典(旧版)内の《社会新報》の言及

【日本社会党】より

…しかし党自体は国会議員選挙では1969年総選挙の敗北を中心に長期低落を続け,79年選挙で得票率20%を割った。党員数も停滞ぎみで,機関紙《社会新報》日刊化も実現されず,いずれも共産党や公明党から大きく水をあけられ,加えて党の主要な基盤であり実質的に党活動を支え代位してきた総評も民間組合員数では民社党支持の同盟に抜かれ,従来保ってきた野党第一党としての指導性は後退した。 これらの結果,党の方針である全野党共闘も,共産党と公明,民社両党との対立に牽引されて実現せず,公明,民社に接近した副委員長江田が77年3月に離党し,ついで離党した田英夫らは78年3月に社会民主連合を結成するに至る。…

※「《社会新報》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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