世界大百科事典(旧版)内の《芸藩通志》の言及
【頼杏坪】より
…85年(天明5)春水に続いて広島藩に儒官として召し抱えられ,兄を補佐した。官吏として有能で,1811年(文化8)納戸奉行に転じ,以後は民政担当の役人として藩政に尽くし,また159巻に及ぶ広島藩の地誌《芸藩通志》の編纂にあたった。著書に《春草堂詩鈔》などがある。…
※「《芸藩通志》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…85年(天明5)春水に続いて広島藩に儒官として召し抱えられ,兄を補佐した。官吏として有能で,1811年(文化8)納戸奉行に転じ,以後は民政担当の役人として藩政に尽くし,また159巻に及ぶ広島藩の地誌《芸藩通志》の編纂にあたった。著書に《春草堂詩鈔》などがある。…
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