世界大百科事典(旧版)内の《近きより》の言及
【雑誌】より
…発行主体の思想の明証としてこそ,持続の活動軌跡はいっそうみごとに働く。たとえば第2次世界大戦にむかう日本で,反戦を主張し続けることができたのは,矢内原忠雄《嘉信》(1938),桐生悠々(きりゆうゆうゆう)《他山の石》(1934),正木ひろし《近きより》(1937)などの個人雑誌であった。営利事業としての新聞や出版が戦時体制に同調したり沈黙していったのちにも,抵抗の場として生き続けたのは極小の発行主体による雑誌であった。…
【正木ひろし】より
…中学教員,画家,雑誌記者を経て,27年弁護士を開業。37年から個人雑誌《近きより》を刊行し,キリスト教的ヒューマニズムを基礎に,時代の狂信を批判した。44年警官による殺人事件(いわゆる〈首なし事件〉)で警察当局を弾劾。…
※「《近きより》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」