世界大百科事典(旧版)内の《闇の奥》の言及
【一人称映画】より
…しかし,映画が人物の主観の中に入っていくという実験的意義は評価されたものの,このような一人称描写が人間の心理の内面を描く技法となりえたかは疑問視されている。ハリウッド映画の常識を破ったオーソン・ウェルズも,彼の最初の映画としてジョゼフ・コンラッド原作の《闇の奥》を全編一人称カメラで映画化しようとして果たさなかったが,代りに撮ることになった《市民ケーン》(1941)の,アンケートするレポーターの主観描写に,一人称カメラのなごりが見られる。【柏倉 昌美】【山田 宏一】。…
※「《闇の奥》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」