アクサーコフ(英語表記)Sergei Timofeevich Aksakov

デジタル大辞泉 「アクサーコフ」の意味・読み・例文・類語

アクサーコフ(Sergey Timofeevich Aksakov)

[1791~1859]ロシア小説家貴族出身故郷自然や人々の暮らしを徹底した写実により描いた。作「家族歴史」「孫バグローフの幼年時代」など。

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精選版 日本国語大辞典 「アクサーコフ」の意味・読み・例文・類語

アクサーコフ

(Sjergjej Timofjejevič Aksakov セルゲイ=ティモフエービチ━) ロシアの小説家。作風は写実的で平明。代表作に「家族の記録」「孫パグローフの少年時代」など。(一七九一‐一八五九

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改訂新版 世界大百科事典 「アクサーコフ」の意味・わかりやすい解説

アクサーコフ
Sergei Timofeevich Aksakov
生没年:1791-1859

ロシアの作家。古い地主貴族出身。1808年カザン大学中退後,ペテルブルグモスクワで,翻訳官,検閲官(1827-32)などを務めた。30-40年代には,彼の自由闊達な人柄にひかれ,ゴーゴリポゴージンホミャコーフ,ベリンスキーら,スラブ派や西欧派の文学者がともに,その〈土曜会〉に集まった。中でも,ゴーゴリとの深交は有名で,《わがゴーゴリとの交遊録》(1890)にくわしい。ゴーゴリの勧めで,彼自身も《魚釣りの記》(1847),《オレンブルグ県の狩猟家の手記》(1852)などを綴った。代表作は,《家族の記録》(1856)およびその続編《バグロフ家の孫の少年時代》(1858)。18世紀末の地主3代の生活を描いた自伝的作品だが,彼の共感は明らかに家父長制の側にある。簡潔で民衆ことばに近い彼の文章は,今もなお写生文模範で,プリーシビンなど後世に深い影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アクサーコフ」の意味・わかりやすい解説

アクサーコフ
Aksakov, Sergei Timofeevich

[生]1791.10.1. ウファ
[没]1859.5.12. モスクワ
ロシアの作家。古い家柄の貴族の家に生れ,1807年カザン大学を中退,翌年ペテルブルグへ出て法案審議委員会の翻訳官となり,その後モスクワへ転勤,検閲官となった。 33年からコンスタンチーノフ測量専門学校の学監,のち同校の校長となった。勤務のかたわら創作の筆をとり,『魚釣記』 Zapiski ob uzhenii ryby (1847) や『オレンブルグ県の狩猟家の手記』 Zapiski ruzheinogo okhotonika Orenburgskoi gubernii (47) などレジャー案内記的な書を著わした。文名を得たのは晩年の『家族の記録』 Semeinaya khronika (56) とその続編『孫バグロフの幼年時代』 Detskie gody Bagrova-vnuka (58) の2長編で,バグロフ家3代にわたる家族の歴史を平明簡潔な文体で描き,牧歌的にみえる地主生活にひそむ暗黒面と矛盾を,リアルにえぐり出した。スラブ主義者として有名な K.アクサーコフ,I.アクサーコフ兄弟は彼の息子。

アクサーコフ
Aksakov, Konstantin Sergeevich

[生]1817.4.10. ウファ近郊アクサーコボ
[没]1860.12.19. ギリシア,ザキンソス島
ロシアの思想家,歴史家,文学者。作家 S.アクサーコフの子。汎スラブ主義者で詩人の I.アクサーコフの兄。モスクワ大学に入学し,N.スタンケビッチのサークルに加入してヘーゲル哲学を学んだ。 1835年大学を卒業してまもなく,A.ホミャコフ,I.キレーエフスキー,Y.サマーリンらスラブ派の思想家たちと親交を結び,その感化を受けて 40年代にはすでにスラブ主義運動の指導的な理論家となった。ヨーロッパに対するロシアの特異性を強調し,ピョートル大帝の改革前の,共同体社会への復帰を説いた。主著『ロシア文学とロシア語の歴史におけるロモノーソフ』 Lomonosov v istorii russkoi literatury i russkogo yazyka,戯曲『1612年におけるモスクワの解放』 Osvobozhdenie Moskvy v 16 12g. (1846) ,『ロシアの国内状態について』O vnutrennem sostoyanii Rossii。

アクサーコフ
Aksakov, Ivan Sergeevich

[生]1823.10.8. スベルドロフスク近郊
[没]1886.2.8. モスクワ
ロシアの思想家,詩人,社会活動家。作家 S.アクサーコフの子。スラブ主義者 K.アクサーコフの弟。 1838年ペテルブルグの法律学校へ入学,42年卒業と同時に官途についた。 44年,ベッサラビアの分離派教徒の調査を行い,政府を批判した報告書を提出して問題となり逮捕された。 52年,農奴の悲劇的な運命を描いた叙事詩『放浪者』 Brodyagaを発表したため退官,以後二度と官途にはつかず,スラブ派の新聞『ジェーニ』 Den',『モスクワ』 Moskva,『ルーシ』 Rus'や,雑誌『ロシアの対話』 Russkaya besedaなどの編集にあたった。晩年は保守化し,独裁政治の擁護者となった。主著には上記のほか『ウクライナの定期市における商品取引に関する研究』 Issledovanie o torgovle na ukrainskikh yarmarkakh (1858) などがある。

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