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アブドゥル・ラーマン ‘Abd al‐Rahmān

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世界大百科事典 第2版の解説

アブドゥル・ラーマン【‘Abd al‐Rahmān】

?‐1246
モンゴル帝国第2代太宗朝に東来し,賄賂によりトゥラキナ皇后の寵任をえて税務長官にまでいたったイスラム商人。中国文献には奥都剌合蛮の字面をもって記載されている。初め彼は訳史(翻訳官)安天合を介してウイグル人宰相チンハイ(鎮海)に接近し,華北属領に対する銀納税(商税,専売税)110万両の倍額という条件で課税請負の権利を手に入れ,1240年(太宗12)提領諸路課税所官に就任,引き続き太宗に次ぐ皇后監国時代にあっても税務を主宰した。

アブドゥル・ラーマン【Abdul Raḥman】

1903‐90
マレーシアの政治家。マレー半島中部ケダの王家に生まれ,父はケダのスルタンであった。1919年イギリスに留学,ケンブリッジ大学に学び,同時にマレー人学生協会の指導者となった。帰国後サハバット・ペナ(ペン・フレンド)という民族主義団体のケダ支部長となった。第2次世界大戦後再びイギリスに留学して弁護士の資格を取り,51年には連合マレー人国民組織(UMNO)総裁となり,マレーシア民族運動の指導者となった。彼の政治路線はイギリスとの協調によって話合いに基づく独立の獲得であった。

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世界大百科事典内のアブドゥル・ラーマンの言及

【マラヤ連邦】より

…49年中国系住民の政党としてマラヤ中国人協会(MCA)が結成され,中国人の利益を代表する政党となった。 UMNOの指導者アブドゥル・ラーマンはイギリスとの交渉を通じて完全独立をめざし,57年8月31日マラヤ連邦は完全独立を達成した。しかし単にマレー半島,ボルネオ北西部の独立にとどまらず,彼はシンガポール,サバ,サラワク,ブルネイを打って一丸とするマレーシア連邦の結成をめざした。…

【マレーシア】より

…この間に独立への準備は着々と進められ,住民の側でも中国人の間に対英協調をめざすマラヤ中国人協会(MCA)が結成された。UMNOとMCAが連合し,これに戦前から活動していたマラヤ・インド人会議(MIC)が加わって連盟党が結成され,55年7月の総選挙で圧倒的な勝利を収め,アブドゥル・ラーマンが首相となった。57年8月31日,マラヤ連邦は完全独立を果たした。…

※「アブドゥル・ラーマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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