アブドラ国王(読み)あぶどらこくおう

知恵蔵 「アブドラ国王」の解説

アブドラ国王

サウジアラビア第6代国王。2015年1月23日に亡くなるまで、皇太子時代を含め、20年間にわたって国政を担った。生年は1924年と伝えられる。初代国王イブン・サウード(アブドルアジズ)の45人(推定数)の子として、首都リヤドで生まれた。母ファハダはベドウィン系シャウマル部族の出身で、幼少期のアブドラは遊牧民の伝統的慣習の中で育てられた。こうした出自のため、王家の有力派閥から外れていたが、サウジアラビアの国教であるワッハーブ派(イスラム法学ハンバリー派の系統)の教えに忠実だったことから、61年に聖地メッカの市長に指名された。更に2年後には国家警備隊司令官に就任し、軍を掌握することになった。95年、異母兄の第5代国王ファハドが病で倒れると徐々に実権を握り、2005年にファハドが亡くなると第6代国王に即位した。
政治姿勢は穏健かつ開明で、シャリア(イスラム法)との調整を図りながら、国際社会から批判されてきた人権問題の改善や女性の地位向上にも取り組んだ。司法制度改革を進めると共に、男女共学の「アブドラ国王科学技術大学」を設立し、11年には女性への参政権付与も発表した。しかし、公言していた女性の自動車免許解禁は果たせず、公開むち打ち刑なども継続されている。
外交はファハドの親米路線を受け継ぎながら、周辺アラブ諸国との協調を重んじる全方位外交を続けた。02年には、アラブ連盟首脳会議で、イスラエル存続とパレスチナ国家の樹立を求める譲歩和平案(アブドラ提案)を採択させている。03年のイラク戦争には参戦しなかったが、戦後、国内外で多発した過激派によるテロ対策ではアメリカとの連携を密にさせていった。一方、スンニ派・アラブ王国の盟主としての立場も堅持し、「アラブの春」(10~11年)では、スンニ派ハリファ家のバーレーン政府から部隊派遣の要請を受け、多数派を占めるシーア派住民のデモを鎮圧した。なお、次期第7代国王には異母弟のサルマン皇太子が就任している。

(大迫秀樹 フリー編集者/2015年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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