アメリカ音楽(読み)アメリカおんがく

改訂新版 世界大百科事典 「アメリカ音楽」の意味・わかりやすい解説

アメリカ音楽 (アメリカおんがく)

ここではアメリカ合衆国の芸術音楽と民俗音楽を扱い,中南米の音楽は〈ラテン・アメリカ音楽〉の項で述べる。今日アメリカの文化は好むと好まざるとにかかわらず,世界で最も広く模倣されているものであるが,その音楽は先住民族アメリカ・インディアンのそれを例外とすれば,すべて旧大陸の音楽の模倣から始まった。しかし建国以来200年余を経た今日,その多様を極める音楽および音楽にかかわる産業・風俗や,その社会学的・民族学的研究を含む音楽学の分野でも,アメリカは世界に直接・間接の大きな影響を及ぼしている。

アメリカにおける最初の音楽活動は,ピューリタン(清教徒)がもたらした賛美歌の歌唱から始まった。やがて各地に植民地が結成されるにつれて,モラビア,ドイツ,スウェーデンなどの移民はそれぞれの音楽的伝統の定着に努力をはらった。18世紀の後半にはみずから〈アメリカ生れの最初の作曲家〉と称したホプキンソンF.Hopkinson(1737-91)やビリングズW.Billings(1746-1800)が作曲活動を行っている。18世紀末以降になると,フランス革命のため,フランスの音楽家がアメリカへ亡命するなど,ヨーロッパの音楽家の移住はますます多くなった。19世紀はアメリカに各種の音楽機関が定着する時代である。1808年にニューオーリンズに初の歌劇場ができ,42年にニューヨーク・フィルハーモニー協会が結成され,同年最初の演奏会が開かれた。これはウィーン・フィルハーモニーの結成と同じ年に当たっている。19世紀の半ばからヨーロッパの名匠や歌劇団が各地を巡業し,音楽界は急激に活気を呈してきた。国内からもアメリカ生れのピアニスト兼作曲家のゴットショークL.Gottschalk(1829-69)がリストの向こうを張ってヨーロッパにまで演奏旅行を行った。19世紀後半はドイツ音楽の影響が強く,きっすいのアメリカ的表現を示したのはフォスターぐらいなものである。また,ドイツ風の教育を受けながら国際的名声を博した作曲家にE.A.マクダウェルがいる。教育界ではオバーリン音楽院が65年に創立,85年にはナショナル音楽院が創立され,ドボルジャークが招聘された。ドボルジャークの渡米は,インディアンやニグロの民族音楽に対する関心を喚起し,民族主義的な作曲の流れが1920年ころまでつづいた。20世紀のアメリカ作曲界にはあらゆる楽派があり,そのなかからアメリカ独自の楽派が生まれ世界的な影響を与えている。次におもな作曲家を傾向別にあげる。(1)保守派 ハンソンH.Hanson(1896-1981)とS.バーバーがその代表でロマン主義的な傾向も帯びている。(2)国際派 新古典主義を信奉し,第2次世界大戦後は新古典に代わって十二音楽派が優勢となる。W.ピストン,セッションズR.H.Sessions(1896-1985),E.カーター,カークナーL.Kirchner(1919- )など。(3)新しいアメリカ主義 アメリカニズムを素材とし,国民主義に立脚したA.コープランド,R.ハリス,トムソンV.G.Thomson(1896-1989)など。(4)実験主義者 アイブズ,ラッグルズC.Ruggles(1876-1971),カウエル,バレーズ,パーチH.Partch(1901-76)など。(5)通俗楽派 ガーシュウィンのシンフォニック・ジャズ。(6)偶然性(不確定性)楽派 ケージを中心とし,彼の音楽思想を実現することによって,戦後ヨーロッパ作曲界にまで強い影響を与えた。沈黙を音楽の重要な要素とみなし,現実音もとり入れるところから〈騒音のコラージュ〉とも呼ばれる。(7)電子音楽グループ 大学の電子音楽センターを本拠とする作曲家たちで,M.B.バビット,ウサチェフスキーV.Ussachevsky(1911-90),ダビドフスキーM.Davidovsky(1934- ),ルーニングO.Luening(1900- )など。(8)ミニマル・ミュージック 短い音節を反復しながら徐々に変化を加えてゆくもので,1960年代からライヒS.Reich(1936- )を中心として大きな流行となっている。
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アメリカ合衆国は移民の国としての成立事情と,その文化的多様性を,民俗音楽のなかに明白に映し出している。この大陸の先住民族の伝統音楽と,世界の各地から集まった諸民族がもたらし伝承し,かつ融合して発展してきたアメリカの民俗・大衆音楽の種類はほぼ次の四つに大別される。(1)先住民族の音楽(アメリカ・インディアンエスキモー),(2)西ヨーロッパ諸国からの初期の移民の音楽,(3)アフリカ西海岸から黒人がもたらし発展させた音楽(アフロ・アメリカ音楽,ジャズ),(4)19世紀末以後の新しい移民の群れが世界の各地から携えて来た各民族の伝統音楽である。

 このなかで最も支配的であったのは西ヨーロッパの民俗音楽,とりわけブリティッシュ・アメリカのそれで,英語,スコットランド語,アイルランド語で歌われるバラッドや民謡は早く17世紀から親しまれ,これにアメリカ的要素が付加されて,今日まで伝承されている。そしてこの伝統から別のジャンルであるヒルビリー,カントリー・アンド・ウェスタン等が生まれた。ここで用いられる民俗楽器としてフィドルアパラチアン・ダルシマー,ハンマー・ダルシマーが挙げられる。

 一方アフリカから来た黒人は,南部の奴隷としてのコミュニティのなかで,アフリカ大陸の伝統音楽的色彩の強いワークソング,バラッド等を歌った。そしてキリスト教を受け入れるに及んで,彼ら独特の黒人教会典礼を発展させ,黒人霊歌,ゴスペル・ソングそしてブルースを生み出していった。これらが後にジャズと呼ばれる大衆芸術音楽へと発展していく。彼らが生み出したアメリカ独特の楽器にバンジョーがある。

 次いで,北欧,東欧,地中海沿岸,そしてユダヤ系の移民が相次ぎ,さらに日本を含むアジア各国の諸民族が新しい移民の波となって新大陸に押し寄せたが,各民族の伝統音楽は,それぞれが移住後形成したコミュニティの大きさとその民族意識の自覚の強さにほぼ比例して伝承されている。近年アメリカ人の,とりわけ従来差別され抑圧されていた少数民族の,民族的アイデンティティを再確認する意識が高まりつつあるが,この傾向と呼応して,各民族集団の伝統音楽に対する関心も大きくなっている。毎夏首都ワシントンのモニュメント広場で開かれるようになったナショナル・フォークミュージック・フェスティバルは,こうした各民族の音楽文化が一斉に花開くのを促進している。
ジャズ →ブラック・ミュージック
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アメリカ音楽」の意味・わかりやすい解説

アメリカ音楽
あめりかおんがく

広義のアメリカ音楽は、南北アメリカ大陸の音楽を意味し、異民族の多様な音楽様式を含んでいる。両大陸の先住民のアメリカ・インディアン諸部族の音楽、ヨーロッパからの移民(北米ではおもにアングロ・サクソン系、中南米ではおもにラテン系)の芸術音楽、西アフリカからの移住民によるスピリチュアルやジャズなどが、その代表的な音楽様式である。20世紀に入ってからは、アングロ・サクソン系の芸術音楽と西アフリカ起源のジャズの融合が試みられるなど、これらの異質の音楽様式の間の関連づけもみられるが、「アメリカ音楽」という統一的な音楽様式は存在していない。ここではおもに、アメリカ合衆国の芸術音楽を扱う。アメリカ合衆国の3世紀にわたる芸術音楽の歴史は、(1)ヨーロッパ音楽の移植の時代(1620~1820)、(2)古典主義音楽の理想の追求の時代(1821~1919)、(3)新しいアメリカ合衆国の芸術音楽の時代(1920以降)という三つの時期に区分され、この300年の間に、単純な賛美歌からコンピュータ・ミュージックまでの音楽を生み出してきた。

 17世紀のアメリカ最初の植民者たちは、母国から数多くの音楽を運んできた。エインズワースの詩編集(1612)を持ち込んだ北部植民者は、やがて北部植民地最初の印刷物として『ベイ詩編集』(1640)を出版し、しだいにニュー・イングランド独自の道を築き始めた。18世紀前半の「信仰復興運動」に伴う賛美歌の大衆化は、シンギング・スクールの普及につながり、ビリングスWilliam Billings(1746―1800)をはじめとする半職業的な作曲家を輩出させた。彼らは、曲の中心部にカノンをもつ合唱曲「フューギング・チューン」fuging tuneを好んで作曲した。一方、南部植民地は、北部に比べ商業的、世俗的で、1735年にはミュージカルの前身にあたるバラッド・オペラ『フローラ』が上演され、ヨーロッパ音楽の演奏会がすこしずつ広まっていった。18世紀のアメリカ芸術音楽は、まだヨーロッパ生まれの人々か、ヨーロッパ音楽の亜流に甘んずる人々によって担われていた。

 19世紀にはニューヨーク・フィルハーモニー協会(1842設立)、ボストン交響楽団(1891)など、アメリカ各地にオーケストラが次々に誕生し、また、オバーリン音楽院(1865)、ニューイングランド音楽院(1867)などの音楽学校も次々に設立され、次の時代の音楽の発展の下地がつくられた。しかし、作曲の分野は、まだヨーロッパの古典音楽の模倣の段階を脱しきれず、19世紀前半に活躍したメイスンLowell Mason(1792―1872)、ラッセルHenry Russel(1812―1900)らはサロン音楽、家庭音楽、軽喜劇以上の作品を残せなかった。ブリストーGeorge Friederick Bristow(1825―1898)の『リップ・バン・ウィンクル』(1855)、フライWilliam Henry Fry(1813―1864)の『レオノーラ』(1845)はアメリカのオペラの草分けだが、イタリア・オペラの焼き直し以上のものではなかった。

 アメリカ音楽史上で、初めて国際的名声を得たのはゴットショークLouis Moreau Gottschalk(1829―1869)であるが、作曲家としては小品を残しているにすぎない。スティーブン・フォスターは200曲近い歌曲、サロン音楽風の器楽曲、多くの編曲を残し、アメリカ初の国民的作曲家になった。ヨーロッパの国民楽派に刺激されて、アメリカの国民性を主張し始めたのも、19世紀中ごろである。

 ニュー・イングランドにはペインJohn Knowles Paine(1839―1906)や、バックDudley Buck(1839―1909)にさかのぼる保守的な音楽の伝統がみられるが、19世紀末にはニュー・イングランド・アカデミシャンあるいはボストン・クラシシストとよばれる一群の作曲家であるフットArthur W. Foote(1853―1937)、チャドウィックGeorge Whitefield Chadwick(1854―1931)、パーカーHoratio William Parker(1863―1919)などが、ドイツ・ロマン主義を踏まえた作品を残した。マクダウェルもケルト的であるが、この系譜に属する。

 ホレイシオ・パーカーの弟子にあたるチャールズ・アイブスは、アメリカ音楽の真の革命家であり、不協和音、無調性ポリリズム、引用などの前衛的手法は、第二次世界大戦後ようやく認められた。彼に始まる前衛の道には、新しい対位法のラッグルスCarl Ruggles(1876―1971)、トーン・クラスター(ピアノ鍵盤(けんばん)を屈曲させた前腕で押さえたり拳(こぶし)でたたいたりする技法)の考案者カウエルHenry Dixon Cowell(1897―1965)、新楽器制作のパーチHarry Pearch(1901―1976)、偶然性音楽のジョン・ケージ、反復音楽のライヒ、ユダヤ音楽、ジャズや映画音楽からの影響の強いジョン・ゾーンらが連なる。

 それとは別に、カーペンターJohn A. Carpenter(1876―1951)、アーロン・コープランド、ジョージ・ガーシュインが、1920年代以降、ジャズやフランス6人組の影響を受けた作品によって知られている。第二次世界大戦後、保守派として成功した人々のなかには、カーターElliott Carter(1908―2012)、セッションズ、バビットMilton Babbitt(1916―2011)らがいる。

[船山 隆・細川周平]

『奥田恵二著『アメリカの音楽――植民時代から現代まで』(1970・音楽之友社)』『ジョン・ケージ著、近藤譲訳『音楽の零度』(1980・朝日出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アメリカ音楽」の意味・わかりやすい解説

アメリカ音楽
アメリカおんがく

アメリカ合衆国の音楽は,17世紀初頭の白人移住に始る。イギリスの清教徒の賛美歌活動など各キリスト教宗派の音楽活動が定着し,18世紀には「アメリカ作曲家の父」 F.ホプキンソンが生れた。 19世紀以降,ドボルザークほかヨーロッパからの外来音楽家が優先する一方,各種団体が設立され,S.C.フォスターらの民謡も好まれた。 20世紀に入り,黒人音楽,インディアン音楽など民俗音楽を用いる傾向もみられ,ガーシュインのジャズ感覚あふれる作品,E.バレーズ,J.ケージらの指導的前衛作曲家が現れた。

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