世界大百科事典 第2版「アルテ・ピナコテーク」の解説
アルテ・ピナコテーク【Alte Pinakothek】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
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…古代への関心は,歴史的記念物や遺品への開眼を促し,種々の記念碑や博物館建設の気運が高まったのもこの世紀の特徴である。ミュンヘンの絵画館アルテ・ピナコテーク(1826‐36)もクレンツェの設計になったもので,このほかザイドルGabriel von Seidl(1848‐1913)のバイエルン国立博物館(1896‐1900)やゼンパーのドレスデン国立絵画館(1846‐52)が知られる。また歴史的関心は中世にまでも及び,19世紀初頭のロマン主義思想の流れを引いてケルンやウルムの大聖堂が完成され,ノイシュワンシュタイン城(E.リーデル,1868‐86)やウィーンの奉献教会(H.vonフェルステル,1856‐79)のようなロマネスクやゴシックを模した中世様式建築も造営された。…
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