アレクサンデル6世(読み)アレクサンデルろくせい(英語表記)Alexander VI

改訂新版 世界大百科事典 「アレクサンデル6世」の意味・わかりやすい解説

アレクサンデル[6世]
Alexander Ⅵ
生没年:1431-1503

ローマ教皇在位1492-1503年。本名ロドリゴ・ボルジアRodrigo Borgia。叔父教皇カリストゥス3世により25歳で枢機卿に任命され,パウルス2世時代(1464-71)に教皇庁内で勢力を拡大し,シクストゥス4世の教皇選挙を画策し,自分は強力な贈賄によって当選した。教皇としての施策は出身たるボルジア家,とくにその子チェーザレ・ボルジアへの優遇から決定され,その権謀術数はルネサンス期支配者の模範としてマキアベリ賞賛をえた。教皇在任中の注目すべき業績としては新大陸におけるスペインポルトガル領境界線の決定(トルデシーリャス条約,1494),サボナローラ処刑(1498),みずから組織した1500年の聖年,対ムーア人十字軍(1499-1500),サンタンジェロ城再建がある。またラファエロ,ミケランジェロらの庇護者としても知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレクサンデル6世」の意味・わかりやすい解説

アレクサンデル6世
アレクサンデルろくせい
Alexander VI

[生]1431.1.1. バレンシア,ハティバ
[没]1503.8.18. ローマ
スペイン出身の教皇 (在位 1492~1503) 。本名 Rodrigo Borgia。叔父カリクスツス3世の門閥主義で登用され,教会の世俗化に乗じ買収などの手段によって教皇となった。みずから重用した4人の私生子のなかには C.ボルジアがいる。 1498年急進的世俗化に反対したサボナローラを処刑。 93年スペイン,ポルトガル間のアメリカ大陸の国境紛争調停。史上最悪の教皇に数えられるが,学問,芸術を愛し芸術家たちを庇護した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アレクサンデル6世」の解説

アレクサンデル6世(アレクサンデルろくせい)
Alexander Ⅵ (本名 Rodrigo Lansol Borgia)

1431?~1503(在位1492~1503)

ルネサンス期のローマ教皇ボルジァ家の出。サヴォナローラを弾圧したほか,愛人に生ませた我が子チェーザレ・ボルジァと暴虐な教会政治を行った。スペイン,ポルトガルの植民領域に教皇子午線を画した。

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367日誕生日大事典 「アレクサンデル6世」の解説

アレクサンデル6世

生年月日:1431年1月1日
教皇(在位1492〜1503)
1503年没

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世界大百科事典(旧版)内のアレクサンデル6世の言及

【ボルジア】より

…ルネサンス・イタリアの政治家。アルバノ司教で枢機卿のロドリゴ・ボルジア(後の教皇アレクサンデル6世)の庶子。1482年教皇シクストゥス4世の首席秘書官を皮切りに,最初は聖職者の道を歩み始める。…

【ボルジア家】より

…このときすでに77歳で多くをなしえなかった。その後同家の地位を上昇させたのは彼の甥ロドリゴ(1431‐1503)で,彼が92年に教皇アレクサンデル6世となったときには同家はほかに4人の枢機卿を擁し,絶頂期を迎える。新大陸発見後のスペイン・ポルトガル間の世界分割の調停,サボナローラの破門宣告,フランス軍のイタリア侵入からのローマの救済などのヨーロッパ外交で手腕を発揮し,ラファエロ,ミケランジェロやブラマンテに絵や建築の仕事を与え,ローマのルネサンス文化を確立させた。…

※「アレクサンデル6世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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