アンジェリコ(英語表記)Fra Angelico

デジタル大辞泉 「アンジェリコ」の意味・読み・例文・類語

アンジェリコ(Fra Angelico)

[1387~1455]イタリア画家僧侶。清らかな宗教画を描き、フィレンツェ派代表者とされる。サンマルコ修道院の壁画を描いた。作「受胎告知」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「アンジェリコ」の意味・読み・例文・類語

アンジェリコ

(Fra Angelico フラ━) イタリア、フィレンツェ派の画家。ドミニコ会修道士。深い信仰にあふれた宗教画を描く。作品に「受胎告知」「聖母戴冠」など。(一三八七‐一四五五

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「アンジェリコ」の意味・わかりやすい解説

アンジェリコ
Fra Angelico
生没年:1400ころ-55

イタリアの画家。僧名フラ(フラーテ)・ジョバンニ・ダ・フィエゾレ,俗名グイド・ディ・ピエトロ。フィレンツェ近郊のビッキオ・ディ・ムジェロ生れ。1417年にはいまだ俗人であったが,すでに画家となっていたことが知られる。おそらく18-20年に,フィレンツェ北郊の町フィエゾレFiesoleのドミニコ会の修道士になったのであろう。画家として本格的な活動を始めるのは30年代に入ってからで,《リナイオーリの祭壇画》(1433ころ),コルトナの《受胎告知》(1434ころ),ルーブルの《聖母戴冠》(1435ころ)などを描く。38-45年フィレンツェのサン・マルコ修道院の回廊と僧房に壁画を描く。45年にローマに赴き,エウゲニウス4世とニコラウス5世の依頼で祭壇画や壁画を制作するが,そのほとんどが消失し,わずかにニコラウス5世の礼拝堂を飾る《ステパノとラウレンティス伝》のみが残存する。ローマ滞在中の47年に,ゴッツォリらとオルビエト大聖堂内サン・ブリツィオ礼拝堂の穹窿に壁画装飾を行う。50-52年,フィエゾレのサン・ドミニコ修道院の院長。53-54年ころに再びローマに行き,同地で没。アンジェリコの芸術形成期は,初期ルネサンスを特徴づける伝統的なゴシック様式マサッチョの自然主義絵画との二つの大きな流れの中にあり,彼は双方の要素を吸収しつつ独自な画風を確立した。すなわちそれは,明快な空間に純化された形態を配し,明るく純粋な色彩を華やかに賦して,時に厳しさもそなえた典雅な絵画世界である。〈受胎告知〉や〈聖母戴冠〉を主題とする作品に,その典型例が見られる。フラ・アンジェリコ(〈天使のような僧〉の意)の名は,死後に冠せられたもの。サン・マルコ修道院は,現在アンジェリコの作品を収蔵・展示する美術館となっている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンジェリコ」の意味・わかりやすい解説

アンジェリコ
Angelico, Fra; Fra Giovanni da Fiesole

[生]1400頃. ビッキオ
[没]1455.2.18. ローマ
イタリアの画家でドミニコ会修道士。本名 Guido di Pietro。1417年にはすでに画家で,フィエゾーレの修道僧になったのは 1420~22年頃とされる。その後 10年間ほど,中部イタリアの各修道院で過ごし,1436年,フィレンツェのサン・マルコ修道院に移った。画業は,初めロレンツォ・モナコのゴシック風(→ゴシック美術)から出発し,テンペラ画法で輝くような色彩と丹念な細部描写をみせた。そのことは『聖告と三王礼拝』(1425~26,サン・マルコ美術館)からもよくうかがわれる。やがて,ドナテロマサッチオらの影響で量体表現と遠近法を会得。その成果は『聖母戴冠』(1428頃,ウフィツィ美術館)における各人像表現と空間構成などに早くも現れている。1433年の『リナイウォーリの聖母』(サン・マルコ美術館)や 1435年頃の『キリスト降架』(同)では,すでに自然主義(→自然主義美術)への傾倒が認められる。そして,サン・マルコ修道院での一連の壁画では,完全にルネサンスの画家になりきっている。さらに 1445年,バチカン宮殿内ニコラウス5世礼拝堂の壁画装飾,オルビエト大聖堂の壁画装飾も手がけた。またフィエゾーレの修道院長も務めたが,晩年はローマのサンタ・マリア・ソープラ・ミネルバの修道院で過ごし,そこで没した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「アンジェリコ」の意味・わかりやすい解説

アンジェリコ

イタリアの画家。本名グイド・ディ・ピエトロGuido di Pietro。1407年フィレンツェ北郊フィエゾレのドミニコ会修道院に入り修道士(フラfra)となる。やがて各地の聖堂で活動し,初期ルネサンスの重要な画家の一人となった。ゴシック趣味を残しながら,明るい色彩と明快な画面構成をもち,宗教的感情にあふれる宗教画を描いたほか,J.ポロックの〈ドリップ・ペインティング〉を思わせる異様な作品もある。代表作に《リナイオーリの祭壇画》(1433年,フィレンツェ,サン・マルコ美術館蔵),また《受胎告知》や《キリストの変容》を含むサン・マルコ修道院の壁画群(1440年代前半)などがある。
→関連項目バルドビネッティ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アンジェリコ」の解説

アンジェリコ
Fra Angelico (本名 Guido di Pietro)

1400?~55

イタリアの画家でドミニコ修道会の修道士。キリスト教の信仰を清純な絵画に描き続けたが,ゴシック様式から脱皮し,初期ルネサンスフィレンツェ派の画家として多くの傑作を残した。代表作はフィレンツェのサン・マルコ修道院の壁画。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンジェリコ」の意味・わかりやすい解説

アンジェリコ
あんじぇりこ

フラ・アンジェリコ

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「アンジェリコ」の解説

アンジェリコ

フラ=アンジェリコ

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android