アンティオコス3世(英語表記)Antiochos Ⅲ

改訂新版 世界大百科事典 「アンティオコス3世」の意味・わかりやすい解説

アンティオコス[3世]
Antiochos Ⅲ
生没年:前243か242-前187

シリア王国の王。在位,前223-前187年。セレウコス2世の次子。衰退した王国の再建に乗りだし,第4次シリア戦争(前219-前217)では,前217年ラフィアの戦でプトレマイオス4世に敗れ,意を果たさなかったが,東方に大遠征を行い(前212-前205),アルメニアパルティア,バクトリア,インドで宗主権を認めさせ,アラビアをへて帰還,〈大王〉と称された。さらにマケドニアフィリッポス5世とプトレマイオス朝領分割の密約を結び,第5次シリア戦争(前202-前200)でシリア南部(コイレ・シリア)とフェニキアを奪回したが,小アジアの南・西岸を制圧しトラキアに歩を進めたところでローマと衝突,前190年のマグネシアの戦で決定的敗北を喫し,前188年アパメイア条約でトロス山脈以西の小アジアを放棄した。遠征のかたわら内政改革と婚姻政策による支配の強化につとめ,中興の一時期を現出したが,ローマに屈して雄図は挫折した。
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世界大百科事典(旧版)内のアンティオコス3世の言及

【シリア王国】より


[歴史]
 セレウコス1世はアレクサンドロス大王の死後バビロニアの総督となり,前312年地歩を確立(セレウコス朝暦第1年),大王の後継者たち(ディアドコイ)の争いの渦中で勢力を拡大し,西は小アジアから東はインド国境におよぶ広大な領土を獲得した。しかし,その後はたび重なる戦争(とくにプトレマイオス朝とのシリア戦争),王家内部の紛争,王国内各地の離反独立(ペルガモン,パルティア,バクトリアなど)によって弱体化し,アンティオコス3世(在位,前223‐前187)のとき,内政改革と再征服遠征によって一時的に衰勢をたてなおし大版図を回復したが,東地中海に力を伸ばしたローマに敗れて頓挫し,アンティオコス4世(在位,前175‐前164か163)の膨張政策と国内改革も,ローマの介入やユダヤの反乱などによって挫折を余儀なくされた。前160年にはパルティアの勢力拡大に屈してイラン西部を併合され,前129年にはメソポタミアとユダヤを最後的に失って,王国は北シリアと東キリキアのみに縮小,その後は一段と混迷を深め,前64年ポンペイウスによってローマに併合され滅亡した。…

【ローマ】より

…前214‐前205),これを制し,マケドニアの勢力回復におびえたロドスとペルガモンの求めに応じてローマは第2次マケドニア戦争(前200‐前196)に踏み切り,将軍フラミニヌスはテルモピュライでマケドニア軍を破った。続いて,ハンニバルがそのもとに亡命していたシリア王国のアンティオコス3世と戦争に入り(前192‐前189),これをマグネシアの地で破った。この戦争でローマは初めてアシア(小アジア)に軍を進めたが,戦後処理においては領土的関心を示さず,シリアの領有した小アジアの領土はすべてペルガモンとロドスに与えられた。…

※「アンティオコス3世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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