アーモリー・ショー(読み)あーもりーしょー(英語表記)Armory Show

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アーモリー・ショー」の意味・わかりやすい解説

アーモリー・ショー
あーもりーしょー
Armory Show

1913年春、ニューヨーク二五番通りの第六九歩兵連隊屋内教練場(アーモリー)で開催された国際近代美術展International Exhibition of Modern Artの通称。アメリカ近代美術の展開に多大の貢献をしたことで知られる。この展覧会計画はジ・エイトのメンバーなどによるアメリカ画家・彫刻家協会によって進められたが、約1600点に上る出品のうち、3分の1がヨーロッパから運んだフランス印象派、後期印象派、フォービスムキュビスムなどの作品で、アメリカ側の出品はジ・エイト、写真家A・スティーグリッツ主宰のフォト・ギャラリー「291」のメンバーが中心になっていた。とくに注目を集めた作品は、当時無名のフランス人画家マルセル・デュシャンの『階段を降りる裸体 No.2』であった。肝心の裸婦が絵の中に見あたらないため、その裸婦捜しをめぐる記事が各新聞をにぎわし、この絵をひと目見ようと長蛇の列ができた。美術展のシンボルとしてアメリカ独立革命のシンボルである松の木が使われたことにも、アメリカ美術界に革命をもたらそうという主催者側の強い熱意が反映されている。ニューヨークのあとシカゴボストンにも巡回された。この展覧会が巻き起こした反響は大きく、そのとき後進性を自覚させられたアメリカ美術は、この時点から西欧モダニズムを一つ基軸として回転していく。アーモリー・ショーは、美術の領域を超えてアメリカ社会全般に衝撃を与えたという意味で重要な意義をもつ。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

『B・ローズ著、桑原住雄訳『二十世紀アメリカ美術』(1970・美術出版社)』『マルセル・デュシャン、ピエール・カバンヌ著、岩佐鉄夫・小林康夫訳『デュシャンは語る』(ちくま学芸文庫)』『Bruce AltshulerThe Avant-Garde in Exhibition : New Art in the 20th Century(1998, University of California Press)』

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百科事典マイペディア 「アーモリー・ショー」の意味・わかりやすい解説

アーモリー・ショー

1913年ニューヨークで開かれた米国最初のヨーロッパ美術展の通称。正式には〈国際近代芸術展International Exhibition of Modern Art〉。陸軍の屋内教練場(アーモリー)で開かれたことからこう呼ばれる。ヨーロッパ部門と米国部門からなり,計1600点以上が出品された。シカゴ,ボストンを巡回,各地で悪評と嘲笑(ちょうしょう)を招いたが,フォービスムキュビスムなどヨーロッパ美術の新しい動きが初めて紹介され,米国美術史上重要な里程標となった。
→関連項目デュシャンピカビア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーモリー・ショー」の意味・わかりやすい解説

アーモリー・ショー
Armory Show

アメリカ最初の国際現代美術展の通称。 1913年2月 17日~3月 15日,ニューヨークの 26番街にあった 69連隊のアーモリー (兵器庫) で開催された国際的な大展覧会。出品作品はアングル,ドラクロアからキュビスムにいたる 19~20世紀のパリ画壇を中心とした作品,ならびに革新的な様式を求めるアメリカの作家の作品など計約 1600点。アメリカの現代美術の発展に衝撃的な影響を与えた。この展覧会は大衆の罵倒と嘲笑をも受けながら,その後シカゴとボストン巡回をした。

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