改訂新版 世界大百科事典
「イェロージャーナリズム」の意味・わかりやすい解説
イェロー・ジャーナリズム
yellow journalism
部数,利潤の拡大を至上目標に,スキャンダル,センセーショナリズムを売物にするジャーナリズムへの蔑称(べつしよう)。日本で赤新聞といわれるのがほぼ同義。1890年代,巨大企業と化したピュリッツァーの《ワールド》紙と,ハーストの《ニューヨーク・ジャーナル》紙は,常軌を逸した競争を展開する。《ワールド》の日曜版は,8ページの漫画セクションを出し,そのうちの4ページをカラーで印刷していた。アウトコールトRichard F.Outcaultの黄色い服を着た子どもを主人公にする漫画《イェロー・キッド》(最初は〈Hogan's Alley〉という題)は,その呼物であった。96年初め,ハーストは《ワールド》日曜版のほとんど全部のスタッフを引き抜き(ピュリッツァーが〈買い戻す〉が,ハーストがより高給で誘い,24時間でまたハーストにつく),その秋全8ページカラーの漫画セクション〈American Humorist〉を出す。アウトコールトもその中に入っていたから,《イェロー・キッド》はハーストの新聞に登場することになる。対抗したピュリッツァーは,別の漫画家ラックスGeorge B.Luksを雇って〈イェロー・キッド〉をかかせたので,黄色い服の人気者は二つの新聞で宣伝され,マス・ペーパーのありようを象徴するシンボルとなった。ウォードマンErvin Wardmanが,〈イェロー・プレス〉と命名し,《サン》紙のダナらがイェロー・ジャーナリズムといういい方を広げ,定着させたとされるが,ハースト,ピュリッツァーの新聞は,金権による無数の愚行を重ねながら新聞を大衆の読物として社会の底辺にまで下降させた。イェロー・ジャーナリズムという悪口には,保守派からするエリート主義の反発も混じっている。
執筆者:香内 三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のイェロージャーナリズムの言及
【新聞】より
…それがピークに達したのは,19世紀末の二つのアメリカの新聞,[ピュリッツァー]Joseph Pulitzerが1883年に買収した《ニューヨーク・ワールドNew York World》と,[ハースト]William Randolph Hearstが95年に買収した《[ニューヨーク・ジャーナル]New York Journal》両紙の間にくりひろげられた激しい競争であった。これらの新聞は〈[イェロー・ジャーナリズム]yellow journalism〉と呼ばれた。
[社会主義国の新聞]
ロシアでは多くの合法・非合法の社会主義新聞が発行され,1912年には日刊の《[プラウダ]Pravda》が,17年にはペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトの機関紙《[イズベスチヤ]Izvestiya》が創刊された。…
【新聞】より
…それがピークに達したのは,19世紀末の二つのアメリカの新聞,[ピュリッツァー]Joseph Pulitzerが1883年に買収した《ニューヨーク・ワールドNew York World》と,[ハースト]William Randolph Hearstが95年に買収した《[ニューヨーク・ジャーナル]New York Journal》両紙の間にくりひろげられた激しい競争であった。これらの新聞は〈[イェロー・ジャーナリズム]yellow journalism〉と呼ばれた。
[社会主義国の新聞]
ロシアでは多くの合法・非合法の社会主義新聞が発行され,1912年には日刊の《[プラウダ]Pravda》が,17年にはペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトの機関紙《[イズベスチヤ]Izvestiya》が創刊された。…
【連載漫画】より
…その猛烈な生命力が人気を得て,新聞も部数を伸ばした。黄色いインクをまちがって印刷工がたらしたために〈黄色小僧〉(イェロー・キッド)とあだ名され,やがてハースト系新聞に買われたが,このことからはでな記事で売る新聞を〈[イェロー・ジャーナリズム]〉と呼ぶようになった。新聞連載漫画という形式は,ほとんどの新聞の活用するところとなり,創始者が死んでも助手が引き継ぎ,半世紀を超える生命を保つ現代の英雄創造の場となった。…
※「イェロージャーナリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」