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イスマーイール・パシャ Ismā‘īl Pasha

世界大百科事典 第2版の解説

イスマーイール・パシャ【Ismā‘īl Pasha】

1830‐95
エジプトムハンマド・アリー朝ヘディーウ(副王)。在位1863‐79年。その西欧的近代化志向はオスマン帝国からの自立化の意図と結びつき,エジプト国家機構,経済,交通等の目ざましい近代的整備を実現した。だが過度の外資依存政策は,1876年国家財政の破綻を招き,以来エジプト財政は英仏管理下に移され,エジプト社会の細部にわたる対外従属化状況が深まった。ヨーロッパ人内閣成立に反発する79年2・18事件を機に,英仏の圧力で退位。

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世界大百科事典内のイスマーイール・パシャの言及

【イスマイリア】より

…古代名はティムサーフ村で,1863年スエズ運河工事に伴い運河中央部ティムサ湖の北にある丘の上に建設された町。当時のエジプト統治者イスマーイール・パシャの名を冠したこの町は,運河開通後急速に発展し,70年に市となった。カイロとは運河で結ばれ,現在は各種工業も発達している。…

【カイロ】より

…1952年の革命までつづくムハンマド・アリー朝はこうして生まれたが,そのもとにカイロの近代化が進行した。とくにイスマーイール・パシャ(在位1863‐79)の時期の変化が著しい。オスマンのパリ改造計画にならって,市域西方ナイル川との間の沼沢地や池を埋め立て,広場と放射状の街路から成る壮大な都市計画の基礎が置かれた。…

【ムハンマド・アリー朝】より

… 1840年のロンドン四ヵ国条約締結は,ムハンマド・アリー一族によるエジプト総督の世襲化の道を開いたが,このことは同時に,ムハンマド・アリーによる国内産業独占政策の放棄と,西欧資本主義に対するエジプト国内市場の開放をも意味した。以後,サイード・パシャイスマーイール・パシャの統治下にあって,スエズ運河開設に象徴される一連の近代化政策が実施され,その間,エジプト財政の外資依存と綿作モノカルチャー農業構造の進展によって,エジプト経済の対西欧従属過程が進んだ。76年におけるエジプト財政の破産に端を発した一連の政情不安の中で,近代エジプト最初の民族主義運動であるアラービー運動(1879‐82)が発生したが,イギリス軍によって鎮圧され,以後エジプトはイギリスの軍事支配下に置かれ,エジプト経済の対西欧,とりわけ対英従属化は強化された。…

※「イスマーイール・パシャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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