日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィリス」の意味・わかりやすい解説
ウィリス(William Willis)
うぃりす
William Willis
(1837―1894)
幕末維新期に活躍したイギリス公使館付医員。アイルランド生まれ。エジンバラ大学、ロンドンのミドルセックス病院医学校で医術を学び、1861年(文久1)来日した。生麦(なまむぎ)事件(1862)、薩英(さつえい)戦争(1863)にも立ち会い、鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いから会津戦争まで官軍(薩摩藩)方にあって傷病兵の救護に従った。1869年(明治2)1月20日、かねてよりオランダ人医師ボードインと争っていた大病院(東京医学校)教師に就任、クロロホルム麻酔、外科消毒法、四肢切断術、女性看護人の採用などイギリス医学による教育を行った。ところが同年5月、藩閥がらみの医制論争の結果、明治政府がドイツ医学の採用を決めたため、1870年1月ウィリスは薩摩藩の鹿児島医学校へ赴任、1877年西南戦争までその職にあった。門下に高木兼寛(たかぎかねひろ)がいる。1881年帰国。1885年にはバンコクのイギリス公使館付医員となり、1892年まで勤めた。
[神谷昭典 2018年8月21日]
ウィリス(Thomas Willis)
うぃりす
Thomas Willis
(1621―1675)
イギリスの解剖学者。ウィルトシャーに生まれ、オックスフォード大学に学んだ。彼は人体解剖にとどまらず、ウシ、ウマ、ブタ、ヒツジ、イヌ、そして魚や無脊椎(むせきつい)動物にまで解剖学の対象を広げ、比較解剖学上、大きな功績を残した。とくに脳の解剖学に精力を注ぎ、「(ウィリス)眼神経」(三叉(さんさ)神経第一枝)、「ウィリス動脈輪」(大脳動脈輪)などの解剖学用語は今日に至るまで使用されている。ただし後者に関する最初の発見者はイタリアの解剖学者カッセリオGiullio Casserio(1561―1616)である。1664年刊の『脳の解剖学』はウィリスの代表作である。王立協会設立(1662)の際の中心人物の一人。
[澤野啓一]