ウィーン美術史美術館(読み)ウィーンびじゅつしびじゅつかん(英語表記)Kunsthistorisches Museum Wien

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィーン美術史美術館」の意味・わかりやすい解説

ウィーン美術史美術館
ウィーンびじゅつしびじゅつかん
Kunsthistorisches Museum Wien

オーストリアウィーンにある世界最大級の美術館の一つ。ハプスブルク家代々のコレクションを基礎とし,その歴史はマクシミリアン1世までさかのぼる。本格的な収集が始められたのは,皇帝ルドルフ2世とレオポルト・ウィルヘルム大公の時代で,ルドルフ2世はピーテル・ブリューゲルやアルブレヒト・デューラーの名作を買い,レオポルト・ウィルヘルム大公も意欲的な収集活動を続ける一方,1659年フランドルの画家ダフィット・テニールス(子)に命じて世界で最初の美術コレクションの図版入りカタログをつくらせた。18世紀に入ってから,女帝マリア・テレジアはペーテル・パウル・ルーベンスアンソニーファン・ダイクなどをコレクションに加え,マリア・テレジアが死去した翌 1781年,コレクションは一般に公開された。今日のルネサンス風の建物は 1891年に建てられたもので,設計はゴットフリートゼンペル。館名のとおり古今の名作をほとんどあらゆるジャンルにわたって集めている。古代ローマのカメオ『ゲンマ・アウグスタエ』や,『雪中狩人』をはじめとするブリューゲル(父)の全作品のほぼ 3分の1を占める 15点があるほか,デューラーの『聖三位一体礼拝』など 9点,ヤンフェルメールの『画家のアトリエ(絵画芸術の寓意)』,ルーベンスの『毛皮のコートにくるまったエレーヌ・フールマン』,レンブラント・ファン・レインの『読書するチツス』,ディエゴ・ベラスケスの『マルガリータ王女の肖像』,金工家ベンベヌト・チェリーニの名作『フランソア1世の塩入れ』なども世界的に有名。

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改訂新版 世界大百科事典 「ウィーン美術史美術館」の意味・わかりやすい解説

ウィーン美術史美術館 (ウィーンびじゅつしびじゅつかん)
Kunsthistorisches Museum, Wien

ウィーンにある美術館。マリア・テレジア広場に面して建つネオ・ルネサンス様式の建物で,ゼンパー,ハーゼナウアKarl Hasenauer(1833-94)が設計し,1872-81年に建設。コレクションは皇帝ルドルフ2世やレオポルド・ウィルヘルム大公など,歴代のハプスブルク家の熱心な美術愛好家によって収集された。50に近い展示室のうち,《農民の結婚式》などのある〈ブリューゲルの間〉はもっとも有名。絵画部門はほかに,ヤン・ファン・アイク,デューラー,ラファエロ,ルーベンス,フェルメールなど,1000点以上に及び,ルネサンスから19世紀に至るまでのヨーロッパの巨匠の作品を網羅する。ほかに,エジプトギリシア・ローマの古代コレクション,中世象牙貴金属,七宝細工による装丁板,聖遺物箱,聖杯などの工芸品,リーメンシュナイダーの彫刻《聖母子像》なども収蔵している。
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世界大百科事典(旧版)内のウィーン美術史美術館の言及

【楽器博物館】より

…それが12~13種に淘汰され,保存されたのが正倉院の楽器である。ヨーロッパの代表的な楽器博物館の一つであるウィーン美術史美術館の所蔵楽器は,16世紀チロル大公フェルディナントのアンブラス城所蔵楽器と,17世紀から発展したオピッツィ家の所蔵楽器が第1次大戦後に合併されたものである。【大橋 敏成】。…

※「ウィーン美術史美術館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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