ウイリアムズ(Theodore Samuel Williams)(読み)ういりあむず(英語表記)Theodore Samuel Williams

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ウイリアムズ(Theodore Samuel Williams)
ういりあむず
Theodore Samuel Williams
(1918―2002)

アメリカのプロ野球選手(右投左打)、監督。テッド・ウイリアムズとよばれる。大リーグ(メジャー・リーグ)のボストン・レッドソックスで外野手としてプレー。1969年からは第2ワシントン・セネタース(1972年からテキサス・レンジャーズ)で監督も務めた。打撃の真髄を追求することに情熱を燃やした強打者で、2回の三冠王を含めて首位打者を6回も獲得した。

 8月30日、カリフォルニア州サン・ディエゴで生まれる。1936年、レッドソックスに入団。1938年にはマイナー・リーグで三冠王を獲得した。翌39年に大リーグに昇格するとすぐにレギュラーとなり、打点145でタイトルを獲得した。1941年には打率4割6厘、ホームラン37本で二冠王、42年は三冠王(打率3割5分6厘、ホームラン36本、打点137)を獲得した。1943年から45年までは兵役。1946年に復帰し、無冠ながらリーグ優勝に貢献して最優秀選手(MVP)に選ばれた。1947年には2回目の三冠王、48年は首位打者、49年はホームランと打点の二冠王となり、2回目のMVPとなった。1952年の途中から53年途中まで、朝鮮戦争でふたたび戦地に赴いた。1957年には、39歳で打率3割8分8厘という高打率をマークして首位打者を獲得し、58年も首位打者となった。1959年に初めて打率3割を切ったが、60年に打率3割1分6厘、ホームラン29本、打点72を記録し、同年限りで引退した。ちなみに、現役最後の打席はホームランで締めくくった。1969年からはセネタースの監督に招聘(しょうへい)されたが、下位から抜け出せなかった。同球団は1972年にテキサスに移転してレンジャーズとなったが、その年限りで監督の職からも離れてユニフォームを脱いだ。

 選手としての実働19年間の通算成績は、出場試合2292、安打2654、打率3割4分4厘、本塁打521、打点1839。獲得したおもなタイトルは、首位打者6回、本塁打王4回、打点王4回、MVP2回。監督としての通算成績(4年)は、273勝364敗。1966年に野球殿堂入り。

[山下 健]

『テッド・ウィリアムズ著、宮川毅訳『テッド・ウィリアムズ自伝大打者の栄光と生活』(1975・ベースボール・マガジン社)』『テッド・ウイリアムズ、ジョン・アンダーウッド著、池田郁雄訳『テッド・ウイリアムズのバッティングの科学』(1978・ベースボール・マガジン社)』

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