精選版 日本国語大辞典 「ウォルフ」の意味・読み・例文・類語
ウォルフ
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ドイツの哲学者。北ドイツのブレスラウBreslau(現,ポーランドのブロツワフ)の生れ。イェーナ大学で数学と哲学を学ぶ。ライプニッツとの文通(1704-16)によってライプニッツ哲学から重要な影響を受ける。1704年以降ハレ大学の数学教授。13年ころから哲学の研究に専念し,数学的方法の理念に従って哲学の〈体系〉を演繹的に構成することを試みた。第1の原理は矛盾の原理およびそれから派生する十分な理由の原理であり,いっさいの真理はそれらから必然的に導出されるべきものとされた。体系の基礎をなすのは,真理の根本原理および必然的連関の学としての《論理学》(1728)である。それは三段論法的論証術である。次いで可能的存在者一般の学としての《存在論》(1729),可能的物質世界のア・プリオリな学としての《一般的宇宙論》(1731),魂の形而上学的考察の学としての《合理的心理学》(1734),最後に自然的理性にもとづく純粋に合理的な《道徳論》(1738-39)が相次いで刊行された。ライプニッツ哲学との関係では,ウォルフはモナドの表出作用を否定し,予定調和説も退けた。これが前批判期のカントによって,ライプニッツの〈物理的単子論〉と誤って解されたものである。この点でウォルフはライプニッツ哲学を歪曲したとして非難された。ウォルフの哲学的活動の意義は,彼の著作に示された体系的精神によって,また〈人間理性にもとづく学〉の理念を普及させた啓蒙家としての役割によって,同時代およびその後のドイツ哲学の発展に寄与した点にある。ドイツ語の哲学用語の創案者としても知られる。
→ライプニッツ=ウォルフ学派
執筆者:増永 洋三
オーストリアのリートの作曲家。1875-77年ウィーン楽友協会音楽院に学び,ワーグナーの音楽に接し深い感銘を受ける。一時,ザルツブルクで合唱指揮者をつとめた後,84年よりウィーンで批評家として活動。ブラームスに対して一方的に激しい論争を挑んだが,私恨によるところも大きい。88年の最初の歌曲集の刊行に続き,《メーリケ歌曲集》《アイヒェンドルフ歌曲集》(ともに1889),《ゲーテ歌曲集》(1890),《スペインの歌の本》(1891),2集からなる《イタリアの歌の本》(1892,96)などを発表。その間,たえず神経症に悩まされ,ウィーンの精神病院で終生を送った。ドイツ語の特性を生かした,詩の内容の心理的表現を得意とし,しばしば伝統的な形式からはなれ,自由な形式と半音階的手法を特徴とする。また,詩人ごとに作曲をするのも彼の特徴であるが,300曲をこすリートはシューベルト以来のドイツ・ロマン派リートの伝統のひとつの究極的な姿である。他にオペラや室内楽,交響詩などの作品も残している。なお,ウォルフに対する深い認識と人気を背景に,日本でもウォルフ協会が設立されている。
執筆者:西原 稔
ドイツ社会主義演劇の代表者。ライン地方ノイウィート出身。第1次大戦中軍医。1918年ドイツ革命に加わるが思想的には不明確。その後開業医の体験から社会主義者になる。《君だ》(1919)など表現主義劇の後,農民戦争を扱う《貧しいコンラート》(1923)を発表。28年〈芸術は武器〉と宣言,労働者演劇同盟で活躍し,共産党に入党。妊娠中絶禁止による婦人の悲劇を描く《青酸カリ》(1929,映画化1930),放送劇《クラッシン号がイタリア号救助》(1929),革命劇《カッタロの水兵》(1930)を発表の後,33年亡命,スイス,フランスを経てソ連へ移る。ユダヤ人医師を主人公にナチスに対する知識人の姿勢を問う《マムロック教授》(1933,初演チューリヒ1934,日本で新協劇団1936),歴史劇《ボーマルシェ》(1940)など亡命中も多作で,45年以降は東ベルリンに住む。戦後の作品としては,新しい体制下の喜劇《婦人村長アンナ》(1950),再び農民戦争を舞台とする《トーマス・ミュンツァー》(1952)がある。
執筆者:長橋 芙美子
ドイツの古典学者。19世紀のホメロス叙事詩研究に深甚な影響を与えた。1783年ハレ大学教授に就任,23年間その職にあったが,1806年ナポレオン軍によってハレ大学が閉鎖されるに及んでベルリンに移り住み,のち南仏ニースに赴く途次マルセイユで他界。業績の最も重要なものは《ホメロス叙説》(1795)である。彼はその中で〈ホメロス叙事詩は口承詩として生まれ伝えられた。文字化されたのは前550年ころであるがその後も編集作業が続けられた。《イーリアス》《オデュッセイア》はおのおのの芸術的構想のもとにまとめられているが,それは後世人の細工である。《イーリアス》《オデュッセイア》の素材となっている元来の小叙事詩群はさまざまの詩人たちの作である〉と説き,古代ギリシア叙事詩の分析的成立論の今日までの展開を促す強い契機を与えた。
執筆者:久保 正彰
ドイツの生物学者。ベルリンに仕立屋の子として生まれ,その地の医学校に学び,その後ハレ大学に移った。動物の発生に関する研究で知られる。主著《発生論Theoria generationis》(1759)では,当時支配的であった前成説(生物個体の発生は,先在する構造の展開とする説)に反対し,後成説(発生の過程で,順次に各器官が形成されるとする説)を主張した。そのため,前成説を支持していたA.vonハラーやC.ボネと対立し,1767年にロシアのペテルブルグ学士院の招きに応じて移り,解剖学の教授になった。腎臓形成の初期には,〈ウォルフ体〉〈ウォルフ管〉といった構造が現れるが,これは彼が最初に発見したことにちなむものである。
執筆者:横山 輝雄
スイスの天文学者。チューリヒ工科大学を卒業し,1855年に同大学の教授となり,64年にチューリヒ天文台を設立した。太陽黒点の観測を精力的に行って,1848年には現在ウォルフ黒点数といわれる黒点活動の指標を導入し,また52年には,1610年以降の太陽黒点数の極大,極小期を決定して,それが平均11.1年の周期で繰り返されることを見いだした。ウォルフは科学史,天文学史にも通暁し,多くの著述があるが,その晩年の著《天文学要覧--その歴史と文献》全2巻(1890,92)は,古代より1890年までの天文学資料集成として著名である。また56年には《チューリヒ自然科学会誌》を創刊して,その死まで編集長をつとめた。
執筆者:堀 源一郎
ドイツの女流作家。生地はランツベルク(現,ポーランド領)。編集や批評の仕事から創作に移る。建設途上の社会主義社会の矛盾と冷戦構造の複雑な作用に耐えて,主体的な生き方を求める若者たちを描いた小説《引き裂かれた空》(1963)で注目された。その後も《クリスタ・T.の追想》(1968),《幼年期の構図》(1976)など,人間の自己実現への希求から,ナチスの政権下での少女期の経験の意味を問いなおし,現体制の問題点をきびしく見据える力作を発表。《どこにもない場所》(1979)では19世紀初頭にまで視野を広げている。
執筆者:藤本 淳雄
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…アメリカのAP通信社は一貫して新聞社の協同組織として経営を維持しており,日本の共同通信社その他これに範をとる通信社も多い。
[歴史と現状]
近代的通信社の始祖ともいわれるアバスAgence Havas(フランス,1835創設),ウォルフWolffs Telegraphen‐Bureau(ドイツ,1849創設),ロイター(イギリス,1851創設)の各通信社は,当初は顧客へ経済情報を流すことから始まり,電信,海底ケーブルなどの近代的通信技術の開発にともなって,先進ヨーロッパで発展し,19世紀後半における世界の三大通信社といわれた。これら三つの通信社は1856年に第1回の国際協定を結んで,ニュースの交換を行うようになった。…
…荒唐無稽の考えも多くあるが,細胞説の予見に近づいているとか,そのほか積極的意義を取りあげている歴史家もある。この自然哲学者の列に加えられるC.F.ウォルフは,18世紀後半,植物および動物の発生に関する後成説を唱え,その論拠となる観察事実を示した。かれはそれを含め,生命現象を生命力的な概念によって説明した。…
…そして1781年にベネチアで,前3~前2世紀のアレクサンドリアの大学者たち,ゼノドトス,ビザンティンのアリストファネス,サモトラケのアリスタルコスらによる,ホメロス本校訂作業の詳細を伝える古注がびっしり書き込まれた《イーリアス》の最古の写本(10世紀)が再発見されると,100年以上の校訂作業を要したホメロスの叙事詩とは,いったい,いかにして成立したものかという問題が強く意識されるようになった。 このような中で1795年,ドイツのF.A.ウォルフが,両詩は一個人の作にあらずと主張する《ホメロス叙説》を世に問うて大きな反響を呼んだ。彼の論旨は次のようなものであった。…
…前者は童話,後者は家庭小説である。そのあいだに,1896年ウォルフガストH.Wolfgastが新しい児童文学を提唱して,ローゼッガーP.Roseggerなどを生み,やがて詩人W.ボンゼルスの《蜜蜂マーヤの冒険》(1912)が出て,第1次世界大戦にはいる。オーストリアのザルテンF.Saltenの《バンビ》(1923)とE.ケストナーの《エミールと探偵たち》(1928)が出ると,新生面がひらけるかにみえたが,第2次大戦でとざされてしまった。…
…前者は童話,後者は家庭小説である。そのあいだに,1896年ウォルフガストH.Wolfgastが新しい児童文学を提唱して,ローゼッガーP.Roseggerなどを生み,やがて詩人W.ボンゼルスの《蜜蜂マーヤの冒険》(1912)が出て,第1次世界大戦にはいる。オーストリアのザルテンF.Saltenの《バンビ》(1923)とE.ケストナーの《エミールと探偵たち》(1928)が出ると,新生面がひらけるかにみえたが,第2次大戦でとざされてしまった。…
… 19世紀の後半,とくにその70年代以降のロマン主義は,〈後期ロマン主義Spätromantik〉の名でよく呼ばれる。ここには普通,ブラームス,ブルックナーに始まってフーゴー・ウォルフ,マーラー,シェーンベルクやR.シュトラウスの初期に豊かな全体が収められる。しかし19世紀後半から20世紀初めにかけての音楽が示す多様な相は,もはやロマン主義の一元で処理することはできない。…
…
[黒点周期と黒点相対数]
H.シュバーベは,その43年間にわたる観測から,黒点出現頻度がほぼ10年の周期で変動することを示した(1843)。この発見を受けてR.ウォルフはガリレイ,シャイナーの古い観測まで含めて,くわしい解析を行い,黒点周期としては11年のほうが近いことを明らかにした。彼が解析に用いた黒点相対数(ウォルフ黒点数,図1)は,黒点の群数の10倍に全黒点数を加えたものであるが,これは黒点の頻度を表すというよりも,太陽の黒点活動を表す指標として,有用性がその後広く受け入れられている。…
…邦訳語の形而上学は《哲学字彙》(1881)以来で,有形の器すなわち自然の形象を超えた無形の道すなわち原理の学の意味であり,形而上の出典は《易経》である。 西洋で哲学の分野に一般形而上学と特殊形而上学との区分を導入したのは,スアレスの影響下の17世紀のデュアメルJean‐Baptiste Duhamel以来とされ,この区分はC.ウォルフに引き継がれる。一般形而上学は第一哲学の系統をひき,存在者一般に共通な普遍的規定を扱い,ウォルフはこれを存在論と呼ぶ。…
…領邦の分立,大土地所有貴族の強固な支配権の残存などのために,英仏両国にたいしてさらに市民社会の形成におくれをとったドイツは,フリードリヒ大王のいわゆる〈上からの啓蒙〉という変則的な形で近代国家の形成に向かわなければならなかった。ライプニッツの哲学を体系化したウォルフ,またウォルフの師でドイツ語をラテン語にかえて学術用語として採用する先駆となったトマジウスなどの大学教師がここでは比較的主導的な役割を演じたが,それらの思想内容はフランスのものほどに過激ではない。ただし,ドイツでは,近代市民社会の未成熟という条件をいわば逆手にとって,思想の展開の時間だけをひとり促成栽培的に早めるといった現象が18世紀末から19世紀はじめにかけて見られる。…
… 他方,要素主義を排し,精神を全体として把握しようとする伝統も消滅したわけでなく,いろいろな理論の装いのもとに次々と現れ,現在に至っている。ライプニッツのモナドの考えの影響を受けたC.ウォルフの能力心理学もその一つで,彼によれば,精神は諸要素の受動的集合ではなく,諸能力をもった単一の能動的実体であった。感覚,想像,記憶,悟性,感情,意志などは精神の能力として説明された。…
…同世紀半ば,ドイツのデカルト主義者クラウベルクJohann Claubergはこれを〈オントソフィアontosophia〉とも呼び,〈存在者についての形而上学metaphysica de ente〉と解した。存在論を初めて哲学体系に組み入れたのは18世紀のC.ウォルフであり,次いでカントであった。カント以後,存在論は哲学体系から消失したように見えるが,19世紀の終末以来,とりわけ第1次世界大戦後に復活し,今日では認識論と並んで哲学の主要分野を成している。…
…原語は,〈複数形〉を意味するラテン語pluralitasをエリウゲナが用いたことにさかのぼりうるが,哲学の用語としては,18世紀のC.ウォルフが観念論者を,思惟する単独の自我のみを認める自我論者Egoistenと,複数の思惟する存在者を認める多元論者Pluralistenとに分けたことに始まり,カントにもまったく同じ用法がある。今日では,複数の実在によって世界ないし人生の全体または部分を,とくに変化・多様を顧慮して説明する立場を指し,二元論はその一種で,ともに一元論に対立する。…
…その後はもっぱら宗教に関する用語としてP.ベールの《歴史批評事典》(第2版,1702)の〈ゾロアスター〉の項目,さらにライプニッツの《弁神論》第2部(1710)に受け継がれた。哲学の用語としたのはC.ウォルフであり,彼は独断論者を一元論者と二元論者とに分かち,後者は物質的実体の存在と非物質的実体の存在とを認める者とした。カントも物質と思惟する存在者とをともに独立に存在するものとみなす二元論者について語っている。…
…一方,それと対立する機械論的な考え方についていえば,デモクリトス,エピクロスらの古代唯物論以来,特定の目的に規整されることのない広い意味での機械的原因によって万象の生成を説き明かそうとする行き方が見られはしたものの,なんといっても,機械論が時代の思考の動向を左右するほどの有力なパラダイムとして登場するのは近代科学の成立以降のことである。〈目的論〉の語が,18世紀ドイツ啓蒙時代の哲学者であるC.ウォルフによって創始されたことは,目的論的思考法への反省が,近代科学の成立以降の機械論的思考法との対決においてはじめて本格的になされたことを示すものといえよう。
[機械論と目的論]
近代科学の成立にともなう機械論的思考のパラダイムの全面的適用の典型的な,またもっとも強い影響力をもった例はデカルトにみられる。…
…ライプニッツ哲学をいわば独断的に体系化したC.ウォルフの哲学は時代の流行哲学となり,多くの傾倒者を生んだ。それらの弟子たちを総称してライプニッツ=ウォルフ学派と呼ぶ。…
※「ウォルフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
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