オシム(読み)おしむ(英語表記)Ivica Osim

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オシム」の意味・わかりやすい解説

オシム
おしむ
Ivica Osim
(1941―2022)

サッカー選手、監督。2006年(平成18)7月から2007年12月まで日本代表監督。ユーゴスラビアサラエボサライエボ、現在はボスニア・ヘルツェゴビナ首都)に生まれる。地元のNKゼレツニカールで1959~1968年にプレーした後、フランスリーグのラシン・パリ、スダンバランシエンヌストラスブールで活躍し、1978年に現役引退。ユーゴスラビア代表選手としては1964年(昭和39)オリンピック・東京大会に出場してベスト8、1968年のヨーロッパ選手権では決勝に進出し、イタリアに敗れて準優勝。飛び抜けて長身ながら、華麗なテクニックを誇るフォワードFW)として鳴らした。

 現役引退後は、1978~1986年にNKゼレツニカールの監督としてユーゴスラビアリーグ2位2回、カップ戦準優勝1回と、小クラブとしては異例の好成績をあげる。1982~1984年はオリンピック代表監督としてロサンゼルス大会(1984)に出場して銅メダルを獲得。1986~1992年にはユーゴスラビア代表監督を務め、53試合を戦って28勝11分14敗。1990年ワールドカップ・イタリア大会では、ストイコビッチ、サビチェビッチDejan Savicevic(1966― )、スシッチSafet Susic(1955― )など、民族の異なるスター選手たちをまとめてベスト8へ導いた。1991年からは、ベオグラード(現在はセルビア共和国の首都)の名門クラブ、パルチザン・ベオグラードの監督を兼任し、1991~1992年シーズンではリーグ2位、カップ戦優勝という好成績を収めた。代表チームもユーロ92(1992年ヨーロッパ選手権)の予選を突破したが、国内の内戦が悪化して代表、パルチザンの監督を辞任した。1992~1994年、ギリシアのパナシナイコスの監督となり、ギリシアカップを連覇(1993、1994年)、リーグ2位(1993年)。1994~2002年、オーストリアのSKシュトルム・グラーツの監督としてリーグ優勝2回、カップ戦優勝3回、スーパーカップ優勝3回という抜群の戦績を収めた。2003年、Jリーグジェフユナイテッド市原(現在のジェフユナイテッド市原・千葉)の監督に就任。チームを優勝争いの常連に成長させ、2005年リーグカップ(ナビスコカップ)に優勝してJリーグ創設以来の初タイトルをもたらした。2006年7月に日本代表監督に就任。2007年11月、急性脳梗塞(のうこうそく)で入院したため、日本代表監督を辞任。2008年3月に退院し、6月に日本サッカー協会とアドバイザー契約を結び、指導者の養成やユースの育成に携わった(同年12月に退任)。

[西部謙司]

『西部謙司著『監督力――サッカー名将の条件』(2004・出版芸術社)』『木村元彦著『オシムの言葉――フィールドの向こうに人生が見える』(2005・集英社インターナショナル)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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