オッペンハイマー(John Robert Oppenheimer)(読み)おっぺんはいまー(英語表記)John Robert Oppenheimer

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

オッペンハイマー(John Robert Oppenheimer)
おっぺんはいまー
John Robert Oppenheimer
(1904―1967)

アメリカの理論物理学者であり、世界最初の原子爆弾製造の指導者。ユダヤ系の裕福な実業家の子として4月22日ニューヨークに生まれる。ハーバード大学卒業後ヨーロッパに留学した。当時は量子力学の誕生直後であり、この新しい物理学の中心の一つであったゲッティンゲン大学で、M・ボルンの指導のもと、原子・分子の量子力学を研究、ついで場の量子論、宇宙線現象へと研究の対象を広げ、1927年に博士の学位を得た。1929年アメリカに帰り、カリフォルニア大学(バークリー)とカリフォルニア工科大学(パサディナ)で新進気鋭の物理学者として多くの研究者を養成し、一方、宇宙線シャワー理論、中間子論、重陽子反応などの研究で揺籃(ようらん)期にあった原子核理論、素粒子論に重要な寄与をした。1936年両大学の教授に就任した。

 天体物理、一般相対論にも関心をもち、1938、1939年には中性子星の理論、星の重力崩壊の理論を提出した。これらは1960年代の後半に宇宙に発見されることになるパルサーX線星、ブラックホールなどの研究の先駆をなすものである。

 1941年ごろよりアメリカにおける原子爆弾開発(マンハッタン計画)に関与するようになった。1943~1945年に、ニュー・メキシコ州ロス・アラモスに建てられた研究所の所長として原爆開発のために多くの科学者を集め、その組織化された成果を引き出すうえで並外れた指導力を発揮し、原爆を世界で最初に完成させるという大事業をやり遂げた。第二次世界大戦後ただちにバークリーに戻ったが、1947年からはプリンストン高等研究所の所長に迎えられ、1966年までその任にあった。この間、日本の湯川秀樹(ゆかわひでき)、朝永振一郎(ともながしんいちろう)、小平邦彦(こだいらくにひこ)らのほか、各国から理論物理学者、数学者を招き、世界でトップの研究センターとしての地位を築いた。彼自身は量子電磁気学、素粒子論の研究を続けた。

 戦後、「原爆の父」として国家的英雄とされたオッペンハイマーは、1949~1950年における水素爆弾製造の是非をめぐる論争において、製造計画に反対した。アメリカの原子力政策の中枢にあった彼の社会および科学者への影響力は大きかった。彼の権威を失墜させる目的で、いわゆる「オッペンハイマー事件」が、おりからアメリカ社会を支配した「赤狩り」のマッカーシズム風潮のなかで起こされた。1954年原子力委員会は、彼が機密事項に関与することを許可しない決定を行った。のち1963年、アメリカ政府は彼にフェルミ賞を授与し、反共ヒステリック状態でなされた1954年の決定の非を認め、彼の名誉回復を図ったとされている。1967年2月18日、ニュー・ジャージー州プリンストンで死去。

 芸術、哲学を愛し、つねに科学と人類の文化の関係に心を砕いた。その魅力的な人格とたぐいまれな才能に恵まれた人物がたどった劇的で波瀾(はらん)に富んだ生涯と核兵器に対する苦悩は、そのまま今日の社会と科学の関係を象徴するものといえる。

[佐藤文隆]

『R・ユンク著、菊盛英夫訳『千の太陽よりも明るく』(1958・文芸春秋新社/2000・平凡社)』『ハイナール・キップハルト著、岩淵達治訳『オッペンハイマー事件――水爆・国家・人間』(1965・雪華社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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