オレグ ブロヒン(英語表記)Oleg Blokhin

現代外国人名録2016 「オレグ ブロヒン」の解説

オレグ ブロヒン
Oleg Blokhin

職業・肩書
サッカー指導者,政治家 元サッカー・ウクライナ代表監督,元ウクライナ国会議員

国籍
ウクライナ

生年月日
1952年11月5日

出身地
ソ連ウクライナ共和国キエフ(ロシア)

学歴
キエフ体育大学

受賞
バロンドール〔1975年〕

経歴
母はソ連の女子100メートル記録保持者。16歳でサッカー・クラブのディナモ・キエフに入団FWとして活躍し、母ゆずりの俊足で1972年から4シーズンにわたって得点王のタイトルを独占、ディナモ・キエフの第1次黄金期の大黒柱となり、’75年バロンドール(欧州最優秀選手)を受賞。’72年ソ連代表デビュー。’82年W杯スペイン大会、’86年W杯メキシコ大会に出場。代表キャップ109、39ゴールはソ連の最高記録。“ウクライナの矢”と呼ばれた国民的英雄。引退後、ギリシャのオリンピアコス、イオニコスなどの監督を務める。2003年9月ウクライナ代表監督に就任。2006年ドイツ大会でW杯に初出場し、8強に導いた。2007年12月UEFA欧州選手権(EURO2008)出場を逃した責任を取って辞任。FCモスクワ監督を経て、2011年4月ウクライナ代表監督に再任。2012年9月ウクライナのディナモ・キエフ監督。この間、1998年社会民主党からウクライナ国会議員に初当選、2期務める。2006年落選。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「オレグ ブロヒン」の解説

オレグ ブロヒン
Oleg Blokhin
サッカー

サッカー監督(ディナモ・キエフ)
生年月日:1952年11月5日
国籍:ウクライナ
出身地:キエフ
学歴:キエフ体育大学
受賞歴:バロンドール〔1975年〕
経歴:母はソ連の女子100メートル記録保持者。16歳でサッカー・クラブのディナモ・キエフに入団。FWとして活躍し、母ゆずりの俊足で1972年から4シーズンにわたって得点王のタイトルを独占、ディナモ・キエフの第1次黄金期の大黒柱となり、’75年バロンドール(欧州最優秀選手)を受賞。’72年ソ連代表デビュー。’82年W杯スペイン大会、’86年W杯メキシコ大会に出場。代表キャップ109、39ゴールはソ連の最高記録。“ウクライナの矢”と呼ばれた国民的英雄。引退後、ギリシャのオリンピアコス、イオニコスなどの監督を務める。2003年9月ウクライナ代表監督に就任。2006年ドイツ大会でW杯に初出場し、8強に導いた。2007年12月UEFA欧州選手権(EURO2008)出場を逃した責任を取って辞任。FCモスクワ監督を経て、2011年4月ウクライナ代表監督に再任。2012年9月ウクライナのディナモ・キエフ監督。この間、1998年社会民主党からウクライナ国会議員に初当選、2期務める。2006年落選。

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