オーストリア=トルコ戦争(読み)オーストリア=トルコせんそう(英語表記)Austro-Turkish Wars

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

16世紀からのオスマン帝国の中・東欧征服に伴い,オーストリアとオスマン帝国との間に数次にわたる攻防戦が行われたが,18世紀末までの両国家の衝突を総称していう。 16世紀から 17世紀初めにかけての形勢は,オスマン側が優位に立った。スレイマン1世はハンガリー王を撃破 (1526年モハーチの戦い) ,ウィーンも一時包囲した。その後もオスマン帝国は,ハプスブルク家と対抗するフランス国王と結んで圧迫,ハンガリーの大半を領有した。オーストリアの反撃は,17世紀中頃から始った。オスマン帝国,フランスの連合,挟撃の態勢は続くが,戦略の重点を東方におき,レオポルト1世はウィーンを包囲したオスマン帝国軍を撃退 (1683) ,次いでブダペストを奪回してハンガリーの支配を固め,ベオグラードも攻撃,1699年カルロウィッツの和約で,ハンガリーのほとんどを獲得した。 18世紀に入りカルル6世はベネチアを支援してオスマン帝国を破り,1718年パッサロウィッツの和約で,ハンガリーの残部にベオグラードを含むセルビアの北部も合せ,バルカン半島に最大の領域をもつにいたった。しかし,36~39年の戦争でロシアと結んだが敗れて,18年に得た領土のほとんどを失い,半世紀後の 87~92年にもロシアと結んで戦ったが,フランス革命戦争の勃発のため,全占領地を返還し,対トルコ戦争は終結した。

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