オーピッツ(英語表記)Martin Opitz

デジタル大辞泉 「オーピッツ」の意味・読み・例文・類語

オーピッツ(Martin Opitz)

[1597~1639]ドイツの詩人・批評家ドイツ語純化に貢献し、ドイツ詩学の基礎を作った。著「ドイツ詩学の書」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「オーピッツ」の意味・わかりやすい解説

オーピッツ
Martin Opitz
生没年:1597-1639

シュレジエンに生まれ,ドイツ・バロック文学の始祖となった詩人,詩学者。ハイデルベルクオランダの大学にも学び,1623年生地で官職につき,25年ウィーンで桂冠詩人となり,27年に叙爵。29年〈結実結社Fruchtbringende Gesellschaft〉会員。外交官としてもすぐれ,33年以後,ペストで死去するまで要職にあった。早くからフランスやオランダに並ぶ自国語による文学の興隆を目ざし,近世ヨーロッパ共通の詩形式に基づく詩法を提唱した。19歳で詩論《アリスタルクス》をもってドイツ語の擁護を行い,《ドイツ詩書》(1624)で詩法を確立した。内容と言葉,詩形式やジャンルの関係を規定(〈規範詩学〉)したが,これに先立ち,ドイツ詩の原理を長音短音の組合せではなく,強弱のアクセント交替においたのが彼の創見であった。これをもって,わずか79ページの小冊子は,18世紀に至るまで,ドイツ詩法の基本と見なされ,彼は〈ドイツ詩の父〉の尊称をうけることになる。実作はラテン語詩から始まったが,やがて《ドイツ詩集》(1624)で自説を裏付けたほか,ドイツ語最初のオペラ台本ダフネ》(1627)を書き,牧人小説教訓詩にも手を染め,さらにセネカの《トロイアの女たち》,J.バークリーの《アルゲニス》,P.シドニーの《アルカディア》その他の翻訳を通じて,韻文散文,戯曲や小説と幅広くドイツ語の可能性を開拓して模範を示した。また《アンノーの歌》(1639)の編纂で中世文学研究の,端緒を開くなど,その功績は大きい。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オーピッツ」の意味・わかりやすい解説

オーピッツ
おーぴっつ
Martin Opitz
(1597―1639)

ドイツの詩人、文芸理論家。現ポーランド領シュレージエン地方のブロツワフの生まれ。ハイデルベルクなどの大学に学び、パリ、オランダに遊んで学者たちと交わる。1624年、わずか5日間で『ドイツ詩学』を書き上げる。ギリシア、ローマの古典やフランスの詩学に範をとりながら、ドイツ語の本質に即して、詩句のつづりを強弱によって数えることと、その規則正しい交替を詩法の基本としてドイツ文芸の規範を確立する画期的な試みで、バロック時代以降ドイツ古典主義の時代まで重視された。25年ウィーンで皇帝から桂冠(けいかん)詩人の位を受ける。以後諸方の宮廷に仕え、外交の任にもあたるかたわらドイツ語浄化運動に貢献。29年から文芸アカデミー「結実協会」の会員。ドイツ語による最初の歌劇『ダフネ』の台本も執筆(音楽はハインリヒ・シュッツ)。ようやく学究生活に従える閑職を得たが、ダンツィヒ(現グダニスク)でペストのために没。

[高辻知義]

『永野藤夫著『バロック時代のドイツ演劇』(1974・東洋出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オーピッツ」の意味・わかりやすい解説

オーピッツ
Opitz (von Boberfeld), Martin

[生]1597.12.23. ブンツラウ
[没]1639.8.20. ダンチヒ(現グダニスク)
ドイツの詩人。ハイデルベルク,ライデンなどで学ぶ。「成果をもたらす協会」 Die Fruchtbringende Gesellschaftの一員としてドイツ語浄化運動に参加,『アリスタルコス』 Aristarchus (1617) を著わし,「シュレジエン詩派」の中心人物として,また,バロック文学の理論的指導者として同時代人に大きな影響を与えた。『ドイツ詩学の書』 Buch von der deutschen Poeterey (24) ではアクセントを重視し,フランス詩のアレクサンドランの移入を唱えた。ほかにソフォクレス『アンチゴネ』の翻訳など。

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百科事典マイペディア 「オーピッツ」の意味・わかりやすい解説

オーピッツ

ドイツの詩人。バロック文学の指導的立場にあった学者。シュレジエン生れ。三十年戦争後の外国語の氾濫(はんらん)から国語を純化し,文学の水準を高めようと,ドイツ最初の文学理論書《ドイツ詩の書》(1624年)を著した。これは最高の規範としてレッシングに至るまでのドイツ文学を支配する。自己の理論の具体化として多くの創作を試み,ドイツ最初の創作オペラであるシュッツ作曲《ダフネ》の台本も書いた。
→関連項目フレミング

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世界大百科事典(旧版)内のオーピッツの言及

【ドイツ文学】より

…詩はこの時期に多彩な表現技法を外国から採り入れた。オーピッツがフランス詩法をドイツ語に適用する方法を見つけ,シュレジエン派がイタリアからマニエリスムを移植して,修辞的誇張の技巧を積極的に活用したのもその実例である。言葉の遊びや寓意画の試みもこの時期に生じているが,これはドイツの悲惨な現実に対応するために強い表現が要求されたと見られよう。…

【バロック文学】より

…南部のカトリック圏では人文主義時代と変わらずラテン語文学が優勢を占め,劇作家ビーダーマンJakob Biedermann(1578‐1639)や詩人バルデJakob Balde(1604‐68)らがおり,反宗教改革の傾向も強い。帝国都市ニュルンベルクにはハルスデルファーGeorg Philipp Harsdörffer(1607‐58)を筆頭に高踏的な〈牧人と花の結社〉(1644)の詩人たちがおり,東部シュレジエンではオーピッツをはじめにローガウFriedrich von Logau(1604‐55),ゲールハルトグリューフィウス以下ルター色の濃い詩人劇作家が輩出し,辺境でありながらこの時代の文学的中心地の観があった。そのほか各地にすぐれた詩人が活躍したが,わずかな例を除き相互の交流はなかった。…

※「オーピッツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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