オーム(Georg Simon Ohm)(読み)おーむ(英語表記)Georg Simon Ohm

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

オーム(Georg Simon Ohm)
おーむ
Georg Simon Ohm
(1789―1854)

ドイツの物理学者電流の抵抗についてのオーム法則の発見者。エルランゲンに生まれ、錠前師の父から教育を受け、1805年エルランゲン大学に入るが、学資が続かず学業を中断してスイス数学教師となった。1811年大学に戻り、学位を取得して同大学の私講師となった。1813年からバイエルン州の実業学校で数学を教え、1817年ケルンの高等学校の物理学教師となり、ここでフランスの数理物理学独学で修めるとともに、実験装置をそろえ、1820年以後、電磁気の実験研究に取り組んだ。1825年、電流(ガルバーニ電気)の強さが導線の長さによって減少する関数を求めた論文を発表、この論文は、実験のデータから数学的法則を帰納的に導出する典型的なものであった。1826年には二つの論文を発表し、電流についての包括的な法則を与え、「オームの法則」(電流=電位差/抵抗)を導出した。同年休暇を得てベルリンに行き、大学に職を求めたが得られず、士官学校で数学を教えながら研究を続けた。1827年に主著Die galvanische Kette, mathematisch bearbeitet』(ガルバーニ電流の数学的研究)を発表し、それまでの実験と考察をフーリエの熱伝導論とのアナロジー演繹(えんえき)的数学理論として提示した。すなわち、電流は電位差に比例し、導線からの損失は電圧・時間・長さに比例し、接触物体は一定の電圧差をもつ、という基本法則が導出されている。

 こうした彼の研究は、フェヒナーら少数の科学者を除いては受け入れられなかったが、その理由は、関数関係を導出する実験や演繹的な数学理論が当時のドイツの学者に理解されなかったためである。1833年、彼はニュルンベルク工科学校の物理学教授となり、1839年には校長となった。ここで音響学の研究を行い、1843年に音が倍音と基音とに分析できることを明らかにした。なお1841年にイギリスの王立協会からコプリー・メダルを授与され、同会員に選ばれた。こうして業績が広く認められ、ベルリン、バイエルンの科学アカデミーの会員に選ばれ、1849年にはようやくミュンヘン大学の物理学教授となった。生涯独身であった。

[高田紀代志]

『田中剛三郎編『Georg Simon Ohm――その生涯と業績』(1954・オーム社)』

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