カザン(ロシア連邦)(読み)かざん(英語表記)Казань/Kazan'

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カザン(ロシア連邦)」の意味・わかりやすい解説

カザン(ロシア連邦)
かざん
Казань/Kazan'

ロシア連邦西部タタールスタン共和国首都ボルガ川中流左岸、カザンカ(タタール語名カザン)川がボルガ川に合流する地点にある。人口108万7000(1996)。ボルガ中流部の経済、交通、文化の中心地の一つ。革命後、重工業が発達し、第二次世界大戦中には西部からの疎開工場ができて市の工業発展を助長した。主要な工業は、機械(コンプレッサー、熱測定機、歯科医療機械、ガスレンジ)、化学(有機合成品、写真フィルム、洗剤、合成ゴム)、軽工業(毛皮製品、皮靴、縫製)、食品(食肉、酪製品、菓子、ビール)、建設(プレハブ資材、れんが)などである。

 タタールスタン共和国の教育、文化の中心地で、カザン総合大学をはじめ、航空、工科、農業、財政・経済、医科、獣医科、音楽の諸大学など、高等教育機関が多い。また、タタールスタン共和国博物館、カマル記念タタール・アカデミー・ドラマ劇場、オペラ・バレエ劇場、サーカス演技場、交響楽団などの文化施設が集中している。市街は南北に25キロメートルも延びており、ロシア人とタタール人がおもな住民である。クレムリン城塞(じょうさい)、16~17世紀)、ペトロパブロフスキー寺院(18世紀)などの建築記念物がある。鉄道、ハイウェーの分岐点で、河港、空港があり、交通の要地でもある。

[中村泰三]

歴史

ブルガル人が13世紀後半にカザンカ川の中流に建設し、14世紀末にボルガ川近くに移された。モスクワ公ユリー・ドミトリエビチЮрий Дмитриевич/Yuriy Dmitrievich(1374―1434)の軍により破壊された(1399)。30~40年後同所に再建され、カザン・ハン国の首都となり(1445)、ボルガ川中流の商業都市として重要な地位を占めた。モスクワ大公イワン3世による攻略は失敗したが、1552年イワン4世により占領され、ロシア人の東方進出の拠点として急速に発展した。18世紀初めにラシャ工場、造船所(ピョートル1世により創立)などが設けられた。町の労働者も加わったプガチョフの乱では、反乱軍により町の大部分が焼かれた(1774)。19世紀初めに大学が開設され、なかばにはせっけん、皮革亜麻(あま)紡績などの大企業がおこった。1880年代からロシア革命にかけて反政府運動の一中心地になり、1917年10月ソビエト権力が樹立された。一時反革命軍により占拠されたが、すぐに奪還された(1918)。20年5月、タタール自治共和国、1991年以降、ロシア連邦のタタールスタン共和国の首都となる。

[伊藤幸男]

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