カシミール(読み)かしみーる(英語表記)Kashmir

翻訳|Kashmir

精選版 日本国語大辞典 「カシミール」の意味・読み・例文・類語

カシミール

(Kashmir)
[1] インド、中国、アフガニスタンパキスタンに囲まれたヒマラヤ、カラコルム両山脈の間にある地方。もと藩王国。養蚕、羊毛工業が行なわれ、特にカシミア織で有名。一九四七年以来、その帰属をめぐり、インド、パキスタン、中国の間で係争が続いている。
[2] 〘名〙 ⇒カシミア

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デジタル大辞泉 「カシミール」の意味・読み・例文・類語

カシミール(Kashmir)

インドパキスタン中国にまたがる山岳地帯。カシミア織を産する。帰属をめぐって主にインドとパキスタンが争っており、1949年の停戦ラインが両国の実効支配地域の境界となっている。
[補説]インド支配地域にはジャンム‐カシミールラダックの2つの連邦直轄領が、パキスタン支配地域にはギルギット‐バルチスタン州とアザド‐カシミール州があり、両国とも相手地域を含めての領有を主張している。また、北東部アクサイチン(阿克賽欽)地区は中国が支配しているが、インドは認めていない。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カシミール」の意味・わかりやすい解説

カシミール
かしみーる
Kashmir

インド亜大陸の北西部に位置する山岳地域。古くからインドとチベット、中央アジア方面との交通の要衝にあたり、現在もインド、パキスタン、アフガニスタン、中国が国境を接し、タジキスタンにも近いことから、国境をめぐっての争いが絶えない。1947~1948年の第一次印パ戦争の結果、1949年に暫定国境線が引かれた。カシミール全域の面積は約22万2200平方キロメートル(日本の本州にほぼ等しい)で、そのうちインド管轄地域約10万1400平方キロメートル(45.6%)はジャム・カシミール州となっており、人口約1007万(2001年インド国勢調査)、州都はスリナガル(ただし冬季はジャムに移動)である。パキスタン管轄地域は(1)アザド(自由)・カシミール、(2)ギルギット・バルティスターン(2009年に「北方地域」を改称。パキスタンは、(2)はカシミールではないと主張)。パキスタン管轄地域の合計面積は約7万8100平方キロメートル(35.1%)、人口約414万(2001年推計)。また、1962年の中印紛争により、インド側のリンツェタン高原約3万7600平方キロメートル(16.9%、人口微少)が中国の管轄下に入り、アクサイチン地方とよばれる。さらに中国は1963年にパキスタンとの条約により「カラコルム横断地域」約5200平方キロメートル(2.3%、人口微少)も自国の管轄下に置くことになった。

[林 正久・深町宏樹]

地形・気候

地形的特徴をみると、K2(ケートゥー)、ガッシャブルムなど8000メートル級の高峰とヒスパー、バルトロなど長大な氷河を有するカラコルムと、ナンガ・パルバト、ヌン・クンをはじめとして6000~7000メートル級の峰を有する大ヒマラヤの二大山脈が、北西―南東方向に走る。これらを切り込んで、インダス川とその支流ショーク川、チェナブ川などが縦谷をなす。カラコルムの東には、チベット高原の延長にあたるリンツェタン高原が高度4500メートルをもって接する。大ヒマラヤの西には、小ヒマラヤのピル・パンジャル山脈が4000メートルの高度を有して平原部との地形境界をなす。さらに、漸移地帯としてシワリク丘陵が並行して走り、ジャム、プーンチ付近からパンジャーブ平原の一部が占める。大ヒマラヤとピル・パンジャルの間には、この地方の中心地である卵形をしたカシミール盆地が存在する。

 山岳地帯には、かつて独立した王国を築いていたギルギット、チラス、アストール、スカルド、レーなど小規模な中心集落が存在し、峡谷沿いや峠越えの交通路によって結ばれている。カラコルム山脈を越えチベット、カシュガルへ通じるミンタカ峠、ヒスパー峠、カラコルム峠ヒンドゥー・クシ山脈を越えるダルコット峠などはシルク・ロードの隊商路として名高い。また、カシミール盆地と平原を結ぶバニハル峠は、アクバル帝のカシミール遠征で有名である。

 気候は、平原地域から北東の山岳地帯に向かうにつれて内陸的となり、年平均気温は低く、年降水量は減少する(ジャムで16℃、1100ミリメートル、スリナガルで12℃、650ミリメートル、レーで5℃、100ミリメートル)。ただ、年降水量はピル・パンジャル東斜面が最大の値(1500ミリメートル)を示す。カラコルム地方では、農作物、樹木の生育が悪く、燃料の確保が切実な問題となっている。

[林 正久]

住民

住民の大半は農業に従事し、米が最大の農産物である。とくにカシミール盆地では、クルとよばれる灌漑(かんがい)水路が発達し、水稲の集約的栽培が行われている。丘陵、平原地域ではトウモロコシと小麦の二毛作もみられる。山岳地帯の谷間では大麦、ソバ、豆類、綿花も生産されるが、その量は多くない。全体として食糧は自給できず、他地域に依存している。ほかにケシ、サフラン、菜種などの換金作物もつくられる。小ヒマラヤの木材をはじめ、リンゴ、クルミ、アンズなどの果実も重要な商品である。牧畜は広く行われ、羊毛用のヤギ、ヒツジの飼育が盛んである。小ヒマラヤではマルグmarg(ヨーロッパ・アルプスのアルプと同義)とよばれる山岳草原を利用した移牧が営まれ、水牛の群れを率いてミルクを売りながら移動する半遊牧民グジャなどもみられる。カラコルム、大ヒマラヤ山中では、遊牧が一般的で、ウシ、ヒツジのほか、輸送手段としてヤクが飼育されている。

 本地域の住民は、ジャム県でヒンドゥー教徒が過半数を占めているのを除けば、イスラム教徒が圧倒的に多く、インド領の公用語もパキスタンと同じくウルドゥー語である。山岳地域では、アーリア系、モンゴル系など民族も多様で、仏教徒、チベット仏教(ラマ教)徒もみられる。

 美しい山岳景観、峡谷の風光や冷涼な気候を生かした避暑・保養地としての観光産業が大きな期待を集めており、カシミール盆地では、州都スリナガルをはじめ、鉱泉のアナントナグ、ハウスボートの浮かぶダル湖、山間避暑地のグルマルグ、ソナマルグなどが多くの観光客でにぎわう。

[林 正久]

歴史

カシミールは長い間ヒンドゥー文化の一大中心地として栄えたが、14世紀にはイスラム圏に入り、1587~1752年にはムガル帝国の版図に入っていた。その後イギリス植民地としての「インド帝国」の時代(1877~1947年)を経て、1947年8月にインドとパキスタンが独立した。1941年のインド国勢調査によると、当時のカシミール住民の76.4%はイスラム教徒であった。パキスタンにとっては、イスラム教徒多住地域を束ねた国家建設を目ざす国家理念からして、カシミールはパキスタンに帰属すべき地域なのである。他方、インドは多宗教国家としての国家理念に基づいた国である。ヒンドゥー教徒であったカシミール藩王は、最終的にはカシミールのインド帰属を決定した。そのため独立直後の印パ両国は、カシミールの領有権をめぐって1947年10月~1948年12月に印パ戦争に突入した。国連の調停も奏功して印パ両国間のカシミール領有区分が画定され、現在まで大きな変化はない。

 しかし現実には、インドは「カシミール」全領域をインド領と主張し、パキスタンは中国管轄領以外の全地域がパキスタンに帰属すべきだと主張する。1948年8月、カシミールが印パいずれに帰属するかにかかわる住民投票実施の国連決議が採択されたが、インドの反対で2010年時点ではまだ実施されていない。印パ間の「カシミール問題」は単なる領土争いではなく、既述のように宗教を軸とし、妥協を許さない国家論の相異が印パ間に厳存する。いわゆる「カシミール問題」は印パ間の領土問題であると同時に両国の国内問題(とくに国民統合)と不可分の問題なのである。1989年からは新たな要因が加わった。すなわち、インドのジャム・カシミール州のイスラム教徒たちの間にパキスタン合併運動だけでなく、独立運動が発生し、継続している。また、アフガニスタンに駐留していたソ連軍が1989年に完全撤退したあと、パキスタンおよびアフガニスタンの反インド・イスラム教徒勢力が、さらに1990年代後半からはタリバン勢力も、カシミールのインド管轄地域に大規模潜入するようになり、問題化している。

[深町宏樹]

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改訂新版 世界大百科事典 「カシミール」の意味・わかりやすい解説

カシミール
Kashmir

インド亜大陸北西端の地方名。インドとパキスタンとの係争地で,中国とアフガニスタンに接する。英語ではカシミア(カシミヤ)Cashmere。中国との国境は,インド側は1962年の国境紛争後も未確定(中印国境問題)のままであるが,パキスタン側は63年に確定した。総面積22万3000km2のうち,南東部のインド側のジャンムー・カシミール州Jammu and Kashmir(州都は夏がスリーナガル,冬がジャンムー)が10万1000km2,北東端の中国の領有地域(インドは自国領と主張)が4万3000km2,北西部のパキスタン側のアザード(自由)・カシミール(主都はムザッファラーバードMuzaffarābād)とギルギット管区が7万9000km2となっている。人口は,インド側が772万(1991),パキスタン側が254万(1981)である。

 地形は,南西端のインダス・ガンガー(ガンジス)平原に属する狭長な平原(標高約300m)を除くと,高峻な山岳地帯に覆われている。山脈はいずれも北西-南東方向に走り,北西端にはカラコルム山脈(主峰はK2,8611m)が,中南部には北から順にパンジャーブ・ヒマラヤ(主峰はナンガ・パルバット,8125m)と総称されるラダク,ザースカール,大ヒマラヤの3山脈が,南東端にはピール・パンジャール(小ヒマラヤ)山脈が並走する。諸山脈の間をインダス川とその支流群が北西流し,巨大な峡谷をなして山脈を横断してのち平原に流下する。これらの河谷は,カラコルム峠など5000mを超える峠で中央アジアと結ばれ,古来,交通路として重要であり,仏教東漸ルートの一つでもあった。年降水量は南東端を除いて800mm以下と少ないため,河谷中の小盆地はオアシス的な景観を呈する。その最も大きなものが,スリーナガルのあるカシミール谷である。農産物も,低高度地では米,トウモロコシ,菜種を主とし,高度大となると小麦,大麦に変わる。アンズなどの果物の産も多い。牧畜は盛んで,冬は人家の1階での舎飼,夏は森林帯上の草地での放牧という移牧形式で,多数の羊,ヤギが飼養されている。有名なカシミア織は1870年代より衰えつつあるが,スリーナガルにはフェルト,毛布などの羊毛工業が立地する。ジャンムー・カシミール州は観光地としても有名で,現在は観光業が最大の産業である。

 12世紀の叙事詩《ラージャタランギニー》その他によると,カシミールの歴史は伝説的なカシュヤーパ王による農業開拓に始まるとされ,現地名も彼に由来するといわれる。アショーカ王の時代(前3世紀)に仏教がもたらされて発展するが,7世紀に玄奘が訪れるころにはヒンドゥー教が優勢になっていた。仏教とヒンドゥー教はこの地方に多くの遺跡を残したが,14世紀にイスラム勢力が侵入し,住民の改宗が進んだ。1586年にはアクバルによって征服され,1756年までムガル帝国下におかれた。第4代皇帝ジャハーンギールの手工業奨励により,木彫,銀細工,毛織物,絹織物など現在まで続く伝統工業の基礎がつくられた。1819年にはシク王国のランジート・シングがここを征服し,ジャンムーをジャーギール(封土)としてグラーブ・シングに与えた。第1次シク戦争(1845-46)に勝利したイギリスは彼にカシミールを売却し,ここにジャンムー・カシミール藩王国が成立し,第2次大戦後の独立時にまでいたった。北西方のギルギット一帯はイギリス領であった。1947年に旧イギリス領インドからのインド,パキスタン分離独立に際し,当時,住民の77%がイスラム教徒で,ヒンドゥー教徒は20%にすぎなかった(1941)が,ヒンドゥー教徒の藩王がインドへの帰属を表明したため,両国間の戦闘に発展した。49年1月に国連による停戦勧告を両国が受諾し,同年7月には停戦ラインを暫定的な国境とし,最終的な帰属は将来の住民投票によることとなった。しかし以後も両国に分断された状態が続き,さらにインド側は中国との間に国境問題が生じた。インダス川流域の水利紛争は60年に印パ間で結着をみるものの,カシミール帰属問題は両国対立(インド・パキスタン戦争)の最大要因となり,未解決のままに残されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カシミール」の意味・わかりやすい解説

カシミール
Kashmir

インド亜大陸北西部の地域。北と東は中国,北西はアフガニスタン,西はパキスタンと境を接するが,帰属をめぐりインドとパキスタン,国境をめぐりインドと中国の係争地となっている。ほとんどが険しい山地で,カラコルム山脈,ラダック山脈,ザスカール山脈,ヒマラヤ山脈,ピルパンジャル山脈などの諸山脈が,ほぼ平行して北西から南東方向に走り,カラコルム山脈の K2 (8611m) やナンガパルバット (8126m) などの高峰がある。1586年ムガル帝国の支配下に入り,1819年パンジャブのシク教徒の君主の統治に帰し,1846年から 1947年まで,ラージプートのグラーブ・シン一族の藩王国(→インド藩王国)であった。1947年インドとパキスタンの分離独立に伴い,この地の帰属をめぐり第1次印パ戦争が勃発。1949年1月,国際連合の調停により,1300kmの暫定停戦ラインを画定した。その後も紛争が絶えず,1959年には北東部のラダック地区でインドと中国間の争いが起こり,3年後に停戦。1965年に第2次印パ戦争が,さらに 1971年にも第3次印パ戦争が起こった (→カシミール紛争中印国境紛争) 。紛争後の 1972年のシムラ協定により,停戦ラインを挟んで,北部 (バルチスターンギルギット) ,北東部 (北ラダック) ,西端部 (アザドカシミール准州) をパキスタンが,他の地域 (約 60%,ジャンム・カシミール州) をインドがそれぞれ管理することが決定した。灌漑によって米,トウモロコシ,ゴマ,コムギを産し,林業,果樹栽培,畜産も盛ん。スリナガルを中心にショール,カーペット,毛布,フェルトなどの製造が行なわれる。高級薄地毛織物カシミアに用いられるカシミアヤギの原産地としても知られる。南西部のジャンム地方ではヒンドゥー教徒とシク教徒が大半を占め,東部のラダックではラマ教徒が多いが,住民のほとんど(約 70%)がパキスタン同様にイスラム教徒であり,このことがカシミールのインドへの帰属を難航させる原因となった。1990年代初めから,インド管理地域でのイスラム教徒過激派によるインドからの分離運動が活発になった。総面積約 22万2200km2

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百科事典マイペディア 「カシミール」の意味・わかりやすい解説

カシミール

インド北西,パキスタン北東の地方。ヒマラヤ,カラコルム山脈北西部の山岳地帯。カシュミールとも。毛織物(カシミア織),絹織物,手工芸品の特産があり,南部インダス川支流域で米,小麦を産する。風光明媚の避暑,観光地。1947年旧英領インドから独立の際,ヒンドゥー教徒であるカシミール藩王のインド帰属決定に対し住民の大半を占めるイスラム教徒が反乱を起こした。この機にインド,パキスタン両国が出兵して第1次インド・パキスタン戦争に発展した。1948年国連が住民投票で帰属を決定することを決議,1949年休戦協定が成立した。その後もインド側カシミール議会のインド帰属決定(1953年,1956年)をパキスタンは否認。1965年,1971年,1999年にも大規模な武力衝突が起こるなど紛争が絶えず,両国の核保有問題ともからんで南アジア地域の不安定要因の一つとなっている。しかし,2004年にカシミールの全諸党派自由会議(APHC)とインド政府の間で直接交渉が行われ,2005年4月にはインド側とパキスタン側を結ぶバスが60年ぶりに開通するなど,状況の好転がみられる。22万3000km2。南東部はインド側のジャンム・カシミール州(州都は夏がスリーナガル,冬がジャンム。10万1000km2。770万人。1991),北西部はパキスタン側のアーザード・カシミール(主都ムザッファラーバード)とギルギット管区(両者あわせて8万4159km2。254万2000人。1981)で,ほかに北東端に中国領有地域アクサイ・チンがある。→中印国境問題
→関連項目アジアインドカシミール語カラコルム[山脈]カラコルム[峠]ギルギットパキスタン

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旺文社世界史事典 三訂版 「カシミール」の解説

カシミール
Kashmīr

インド北西部,パキスタン・中国と国境を接する地域。英語ではカシミア
中心都市はスリナガル(吉祥天の都の意)。アショーカ王時代に仏教が伝わり,中国の史料では罽賓 (けいひん) ・箇失密という。クシャーナ朝のカニシカ王のときに第4回仏典結集がここで行われた。14〜15世紀にイスラームが伝わり,住民のイスラーム化が進んだ。シク戦争でイギリス領に編入され,第二次世界大戦後はその帰属をめぐり,インドとパキスタンの間に紛争が続いている。

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デジタル大辞泉プラス 「カシミール」の解説

カシミール

イギリスのロック・バンド、レッド・ツェッペリンの曲。2枚組アルバム「フィジカル・グラフィティ」(1975年)に収録。管楽器・弦楽器の演奏を用いた実験的なナンバー。「ローリング・ストーン」誌が選ぶ最も偉大な500曲第141位。原題《Kashmir》。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カシミール」の解説

カシミール

カシュミール

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世界大百科事典(旧版)内のカシミールの言及

【インド・パキスタン戦争】より

…1947年8月のインド・パキスタン分離独立以降,印パ両国の3度にわたる戦争を指す。両国の対立は,分離独立にいたる国家建設理念への相互不信を起点とし,カシミールの帰属問題を軸として展開されてきた。47年10月,パシュトゥーン部族がカシミール渓谷に侵入し,その背後にパキスタンの手があるとみた当時のカシミール藩王(ヒンドゥー教徒)はインドへの編入を求め,インドの支援を要請したことから印パ対立は始まった。…

【パキスタン】より

…正式名称=パキスタン・イスラム共和国Islami Jamhuria‐e‐Pakistan∥Islamic Republic of Pakistan面積=79万6095km2(ジャンムー・カシミールなどを除く)人口(1996)=1億人(ジャンムー・カシミールなどを除く)首都=イスラマーバードIslamābād(日本との時差=-4時間)主要言語=ウルドゥー語通貨=パキスタン・ルピーPakistani Rupeeインド亜大陸の北西部にある共和国。正式国名に〈イスラム〉を明記している点に特徴がある。…

【ヒマラヤ[山脈]】より

…(1)パンジャーブ・ヒマラヤ インダス川からサトレジ川に至る約550km。ナンガ・パルバットやヌン,クン峰を含み,カシミール盆地を抱く。行政的にはインドのジャンムー・カシミール州,ヒマーチャル・プラデーシュ州,パキスタンのアーザード・カシミール。…

※「カシミール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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