カスティリオーネ(Giuseppe Castiglione)(読み)かすてぃりおーね(英語表記)Giuseppe Castiglione

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

カスティリオーネ(Giuseppe Castiglione)
かすてぃりおーね
Giuseppe Castiglione
(1688―1766)

イタリアのミラノ生まれのイエズス会助修士。中国名は郎世寧(ろうせいねい)。画技に優れ、本国においても一流の画家になれた人であるが、中国皇帝が西洋の画家を求めていることを知って渡華を志願し、認められて1715年に北京(ペキン)に到着した。ポルトガル系イエズス会士の拠点であった宣武(せんぶ)門内天主堂(南堂)に住んで、宮廷絵師として活躍した。康煕(こうき)、雍正(ようせい)、乾隆(けんりゅう)の3帝に仕え、多数の絵画を残した。芽、花、実の3通りの姿をもつ蓮(はす)をさした中国花瓶を描いた1723年作の『聚瑞(しゅうずい)図』によって名声を博し、さまざまの姿態をしている馬を描いた1728年作の『百駿(ひゃくしゅん)図』によってさらに名を高めた。日中は円明園のなかの画室である如意(にょい)館で働き、夜は近くの海甸(カイテン)の住居に戻るという日常のなかで、皇帝とその妃(きさき)たちの肖像画を描いた。乾隆帝と香妃(1734―1788)の肖像画はとくによく知られている。乾隆帝が自分の軍隊戦勝を記念するために画家たちに描かせた「準噶爾(ジュンガル)回部得勝図」のなかにも彼の作がある。また、皇帝の命を受けて、円明園のなかに西洋房子(ぼうし)(洋館)を建築する工事を設計監督した。なお、彼が在廷した時期の大部分キリスト教に対する取締りが強行された時期であり、彼は画家としての自分に対する皇帝の愛顧を利用してしばしば禁教緩和を願い出て、布教に協力した。北京で死亡。その絵は台北の国立故宮博物院に多数所蔵されている。

[矢澤利彦 2018年2月16日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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