カディス憲法(読み)かでぃすけんぽう

山川 世界史小辞典 改訂新版 「カディス憲法」の解説

カディス憲法(カディスけんぽう)
Constitución de Cádiz

スペイン最初の憲法。1812年公布。スペイン独立戦争中に,フランス軍の占領を免れたカディスで開催されたスペイン最初の近代的議会で,立憲君主制国民主権三権分立間接選挙などを規定して制定された。フェルナンド7世が14年に復位した際,1791年フランス憲法を模した「革命的,民主的」なものとして廃止したため,以後自由主義を表象するものととらえられたが,カトリック国教とし信教の自由を否認するなどの非近代的側面もあった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のカディス憲法の言及

【カディス】より

…18世紀の啓蒙主義,19世紀の自由主義,ロマン主義,空想的社会主義などである。ナポレオンのスペイン侵略と独立戦争(1808‐14)の間,非占領地域であったカディスに国民議会が召集され,自由主義的な1812年のカディス憲法が制定された。そして14年フェルナンド7世の絶対王制復活後,カディスは革命の中心となる。…

【スペイン】より

…しかし,この王位移譲を認めない国民は,事実上の公権力が崩壊した状況の中で,国家の主権と同様の権能を有した〈評議会(フンタJunta)〉を各地方の都市に結成した。そして,唯一の非占領地であった南部の港町カディスに参集した非常に少数の評議会代表者が議会を開会し,自由主義に基づく1812年憲法(カディス憲法)を発布した。
[自由主義体制への移行]
 ところが,独立戦争に勝利した翌年の1814年に復位したフェルナンド7世は,まず1812年憲法の破棄を宣言し,自由主義派との抗争を開始していく。…

【スペイン独立戦争】より

…戦争中各地に形成された地方評議会Juntas provincialesから成る中央最高評議会Junta Suprema Centralは,王位の空白を補い政権の安定をはかった。そして,1810年からカディスに召集された議会(コルテス)は,12年に自由主義の原則に基づくカディス憲法を作成・制定した。なおゴヤによって描かれた《戦争の惨禍》という一連のエッチングや,《5月2日》と《5月3日》の2点の絵は,この戦争中に示されたスペイン国民の愛国主義を不朽のものとした。…

【リエゴ・イ・ヌニェス】より

…イギリス,ドイツを経て帰国し(1814)軍に復帰。20年1月カビリャ市付近でアメリカ植民地の独立派を鎮圧に向かうはずの部隊を率い,カディス憲法支持を旗印にプロヌンシアミエントを発した。革命軍は8月マドリードへ入城し,フェルナンド7世に自由主義的なカディス憲法の復活を承認させた。…

※「カディス憲法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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