精選版 日本国語大辞典 「カニング」の意味・読み・例文・類語
カニング
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イギリスの政治家。イートン,オックスフォードを経て,1794年代議士に当選,トーリー党に属した。すでに学生時代から才気煥発,雄弁をもって聞こえたが,議会にはいってからはピットに認められ,外務次官(1796-99),海軍主計長官(1804-06)などを歴任後,37歳でポートランド内閣の外相となり(1807),ナポレオン戦争遂行の任に当たった。だが,陸軍・植民相のカースルレーとうまくゆかず辞任し,彼と決闘して腿に軽傷を負った(1810)。数年雌伏の後,1816年リバプール内閣のインド監督局総裁,次いで22年自殺したカースルレーの後をうけて外相となり,閣内の最有力者と認められるにいたった。彼は,折から活発化した中南米諸国の民族主義を支持してその独立を承認する一方,イギリスをウィーン反動体制から離脱させ,自由貿易にもとづく19世紀イギリス外交政策の基礎を築いた。27年首相となったが,数ヵ月にして没した。
執筆者:村岡 健次
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1770~1827
イギリスの政治家。1793年トーリ党の下院議員となり,1807年外相となったが,09年陸相カースルレーと衝突して辞職,彼と決闘して負傷した。16~21年インド監督局総裁を務め,22年再び外相となりトーリ党の指導的役割を担った。イギリス商品の市場開拓のため諸民族の自由主義的・国民主義的運動を支持し,中南米諸国の独立を認承,23年のモンロー主義の宣言を支持,ギリシア独立を援助した。27年首相となったが,在任4カ月で病死した。
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血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
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