カルロス サウラ(英語表記)Carlos Saura

現代外国人名録2016 「カルロス サウラ」の解説

カルロス サウラ
Carlos Saura

職業・肩書
映画監督

国籍
スペイン

生年月日
1932年1月4日

出生地
ウェスカ

本名
Saura Atarés,Carlos

学歴
国立映画技術調査研究所〔1957年〕卒

受賞
ベルリン国際映画祭監督賞(第17回・18回)〔1966年・1968年〕「狩り」「ペパーミント・フラッペ」,カンヌ国際映画祭審査員賞(第27回)〔1974年〕「従妹アンヘリカ」,カンヌ国際映画祭国際審査員賞(第29回)〔1976年〕「カラス飼育」,ベルリン国際映画祭金熊賞(第31回)〔1981年〕「急げ、急げ」,カンヌ国際映画祭芸術貢献賞・技術功績賞(第36回)〔1983年〕「カルメン」,ヨーロッパ映画賞生涯貢献賞〔2004年〕

経歴
芸術家の家庭に生まれる。カメラマンとなったが、1957年国立映画技術調査研究所で監督号を獲得、同所映画学部教授となった(’64年退職)。’59年長編「Los Golfos」を発表、カンヌ国際映画祭に出品。次いで’65年の「La Caza」(邦題「狩り」)、’67年の「ペパーミント・フラッペ」がともにベルリン国際映画祭監督賞を取り、以後次々受賞を重ねた。日本に紹介されたのは’83年のカンヌ国際映画祭受賞作「カルメン」が初めて。同作品は’79年の「ママは百歳」ともどもアカデミー外国語映画賞にもノミネートされた。’81年の「血の婚礼」、’85年の「恋の魔術師」は、いずれもアントニオ・ガデス率いるダンサーのミュージカルで、撮影監督はテオ・コスカミーリャ。他の作品に「従妹アンヘリカ」(’74年)、「急げ、急げ」(’81年)、「アントニエッタ」(’82年)、「ロス・ザンコス―竹馬の男」「エル・ドラド」(’87年)、「歌姫カルメーラ」(’90年)、「愛よりも非情」(’94年)、「フラメンコ」(’95年)、「タクシー」(’96年)、「タンゴ」(’98年)、「ゴヤ」(’99年)、「サロメ」(2002年)、「イベリア 魂のフラメンコ」(2005年)、「フラメンコ・フラメンコ」(2010年)などがある。1992年バルセロナ五輪の公式記録映画の監督を務めた。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「カルロス サウラ」の解説

カルロス サウラ
Carlos Saura


1932.1.4 -
スペインの映画監督。
ウェスカ生まれ。
18歳頃前衛美術家のグループに加わる。国立映画研究所を卒業し、1959年「非行少年」で国際的に認められる。体制批判やブルジョア階級を残酷な造型美で描く。他の作品に「いとこアンヘリカ」(’73年)、「カルメン」(’83年)など。’92年バルセロナ五輪の公式記録映画の監督に指名される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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