カールマルテル

精選版 日本国語大辞典 「カールマルテル」の意味・読み・例文・類語

カール‐マルテル

(Karl Martell) メロビング朝フランク王国宮宰(きゅうさい)。中ピピンの子。七三二年ツール‐ポアチエの戦いで、イスラム教徒侵入阻止カロリング朝樹立の基礎を確立した。(六八八頃‐七四一

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デジタル大辞泉 「カールマルテル」の意味・読み・例文・類語

カール‐マルテル(Karl Martell)

[689?~741]フランク王国の分国アウストラシアの宮宰。中ピピン庶子。732年、侵入するイスラム軍を撃退、王国を統一してカロリング朝支配の基礎を築いた。

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改訂新版 世界大百科事典 「カールマルテル」の意味・わかりやすい解説

カール・マルテル
Karl Martell
生没年:688ころ-741

フランク王国の宮宰。エルスタルピピン2世の庶子。フランス名シャルル,イギリス名チャールズ。その父の死(714)とともに,彼はメロビング家の諸王を相互に争わせて無力化し,自らアウストラシアを治めるとともに,ネウストリアブルグントをも事実上統一して,そのすべての宮宰職を握った。ザクセン,フリーゼン,チューリンゲンバイエルン等に遠征するほか,彼は732年にポアティエで,北上するイスラム軍を撃退し(トゥール・ポアティエの戦),その名を西欧キリスト教圏に高め,その勢いをかって,アキテーヌプロバンスにも手をのばした(737年と739年の遠征)。彼は増大する重装騎兵の恩貸地を確保するために,教会領にこれらを設定したが,ローマ教会とはあくまで友好関係を保ち,特に聖ボニファティウスのゲルマニア伝道を助けた。彼の別名マルテルは〈槌〉を意味し,彼の政策の強烈な印象を示し,事実この力が,後のカロリング朝を生み出すことになる。
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世界大百科事典(旧版)内のカールマルテルの言及

【トゥール・ポアティエの戦】より

…732年にフランク王国の宮宰カール・マルテルが,フランス西部,トゥールToursとポアティエPoitiersの間において,イスラム教徒の軍を撃退した戦闘。729年スペインの地方総督アブド・アッラフマーン‘Abd al‐Raḥmān al‐Ghāfiqī(?‐732)に率いられたイスラム軍は,ロンスボー(ロンセスバリェス)の峠を通ってピレネー山脈を越え,ガスコーニュ地方を襲い,さらにボルドーを占領したうえ,ガロンヌ川右岸でアキテーヌ公ウードの軍を粉砕した。…

※「カールマルテル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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