日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ガマ(Vasco da Gama)
がま
Vasco da Gama
(1469ころ―1524)
ポルトガルの大航海者、喜望峰(きぼうほう)回りのインド航路開拓者。インド副王。ポルトガル中央部の港町シネスの大判事エステバン・ダ・ガマの三男。熟達した航海術と、持ち前の卓越した外交手腕を買われて、1497年、国王マヌエル1世の大使として自ら船隊(船4隻および約170人の乗組員)を率いてインドへ向かう。一行は同年7月8日エル・ミナへ向かうバルトロメウ・ディアスの船とともにリスボンを出港、ベルデ岬諸島でディアスと別れたあと喜望峰を周回(11月22日)、その後アフリカ大陸東海岸を北上してマリンディに着いた(1498年4月14日)。この地からはアラブ人の水先案内人の協力を得てインド洋を航海し、マラバル海岸のコジコーデ(カリカット)に到着(5月21日)。3か月にわたる滞在中、土侯サモリンと会見し、ポルトガルとの友好関係樹立のため交渉を試みたが、ポルトガル人の来訪により香料取引の独占体制が脅かされることを恐れたムスリム商人の横やりのため、交渉は不首尾に終わった。が、香料については、見本程度ながら現地商人から直接買い付けることに成功し、帰国の途についた(8月29日)。無風や逆風のほか、壊血病に襲われ、死者が続出する(帰還者は55人)苦しい航海のすえ、まず1499年7月10日ニコラス・コエリョの指揮する僚船が、ついで8月29日(もしくは9月9日)ガマの船がリスボンに帰着した。そののちカリカットへの第2回航海(1502~03)を行った。1524年インド副王に任ぜられ、第3回航海にたち、同年12月24日コーチン(現、コーチ)で客死した。
[青木康征]
『野々山ミナコ訳、増田義郎注『ドン・ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海記』(『大航海時代叢書Ⅰ』所収・1965・岩波書店)』▽『生田滋著『ヴァスコ・ダ・ガマ 東洋の扉を開く』(1992・原書房)』