コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ガーゲルン Gagern, Hans Christoph, Reichsfreiherr von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ガーゲルン
Gagern, Hans Christoph, Reichsfreiherr von

[生]1766.1.25. ウォルムス近郊クラインニーデスハイム
[没]1852.10.22. フランクフルトアムマイン近郊ホルナオ
ドイツの政治家。 1788年以来ナッサウ侯の重臣として,その国土拡大に貢献。 1813年 K.シュタインの推薦でオランニェ=ナッサウ公ウィレムに仕え,主君がネーデルラント連合王国の国王 (→ウィレム1世 ) になると,ネーデルラントをドイツに合体させようと努め,ウィーン会議で,ウィレムが獲得したルクセンブルク大公国のドイツ連邦加入を実現させた。 16~18年にはルクセンブルク代表としてドイツ連邦会議に出席。その後は穏健自由主義の立場から文筆活動を展開した。

ガーゲルン
Gagern, Heinrich, Freiherr von

[生]1799.8.20. バイロイト
[没]1880.5.22. ダルムシュタット
ドイツの政治家。 H.C.ガーゲルンの子。若い頃バイエルンの将校として解放戦争に参加。ハイデルベルク大学で法学を修め,ブルシェンシャフトの組織化に尽力。ヘッセン=ダルムシュタットの高級官僚となり,三月革命の際は,フランクフルト国民議会の議長に選ばれ,臨時中央政府をヨハン大公のもとに組織。人民主権論に立ちながら,国制問題ではプロシアの指導する小ドイツ的連邦国家にオーストリアを連合させる案を主張した。革命の挫折後,プロシアの反動化をみて大ドイツ主義に転じたが,ビスマルクの帝国創建は歓迎した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ガーゲルン
がーげるん
Wilhelm Heinrich August Freiherr von Gagern
(1799―1880)

ドイツの自由主義的政治家。1817年イエナで全ドイツブルシェンシャフトの設立に参加したものの、その後ヘッセンの国家官吏となり、1848年の革命では、ドイツ統一問題の解決のために開設されたフランクフルト国民議会で議長に選出され、ついで設置された暫定的帝国内閣の首班となった。同議会の審議を通じてプロイセン主導の小ドイツ主義的連邦国家の実現を目ざしたが成功せず、フリードリヒ・ウィルヘルム4世が同議会の提供したドイツ皇帝の地位を拒絶すると退陣した。その後、プロイセンのドイツ政策に失望して考えを改め、1860年代には大ドイツ主義的改革構想を支持した。[良知 力]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

367日誕生日大事典の解説

ガーゲルン

生年月日:1766年1月25日
ドイツの政治家
1852年没

ガーゲルン

生年月日:1799年8月20日
ドイツの政治家
1880年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

ガーゲルンの関連キーワードF.フリードリヒ・フォン ガーゲルン三月革命(ドイツ)生年月日

今日のキーワード

天網恢恢疎にして漏らさず

《「老子」73章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android