キューカー(読み)きゅーかー(英語表記)George Cukor

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キューカー」の意味・わかりやすい解説

キューカー
きゅーかー
George Cukor
(1899―1983)

アメリカの映画監督。ニューヨークに生まれる。ハンガリー系ユダヤ人の血を引く。幼いころから演劇に傾倒、1919年シカゴの劇団の舞台主任となる。翌年ニューヨーク州ロチェスターの劇団で座付き演出家となり、やがてブロードウェーで大女優エセル・バリモアEthel Barrymore(1879―1959)を演出するまでになる。このころ、トーキー化を実現したハリウッドは俳優に台詞(せりふ)を指導できる人材を求めており、その一人として1929年、パラマウントに入社。『西部戦線異状なし』(1930。監督ルイス・マイルストンLewis Milestone、1895―1980)の台詞指導で認められる。1930年『雷親父』をシリル・ガードナーCyril Gardner(1898―1942)と共同監督。ガードナーのようなサイレント時代からのベテラン映画人と、台詞を指導できる舞台出身の演出家にコンビを組ませるのが当時の流儀であった。1931年『心を汚されし女』で一本立ちするが、エルンスト・ルビッチと共同監督した『君とひととき』(1932)のクレジットをめぐってパラマウントと衝突、プロデューサーのデビッド・O・セルズニックについてRKO、さらにはMGMに移籍した。1936年にセルズニックが自分の会社を興すとMGMとかけ持ちで契約、ハリウッド一高給取りの監督になったが、『風と共に去りぬ』(1939)でセルズニックの不興を買い、撮影開始後わずか10日で監督の座を追われた。

 この間、キューカーは女優の演出に長(た)けた「女性映画」の達人として名声を確立、優雅で文芸色の強い題材を多く手がけた。ウィットに富んだ人柄で女優からの信頼は厚く、『椿姫』(1937)でグレタ・ガルボの演出を任されたほか、ノーマ・シアラーNorma Shearer(1900―1983)、ジョーン・クロフォードら女性オールスター・キャストでその名も『女性』The Women(1939)を監督している。とりわけ私生活でも親友だったキャサリン・ヘップバーンとのコンビは有名で、『若草物語』(1933)、『男装』(1935)、『素晴らしき休日』(1938)、『フィラデルフィア物語』(1940)など、テレビ映画を含めた全9本で彼女のもっとも輝かしい姿をフィルムに焼き付けた。

 1940年代は、結果的にガルボの引退を早めた『奥様は顔が二つ』(1941)など興行的に低迷したが、やがてガーソン・カニンGarson Kanin(1912―1999)の脚本を得て復調、『アダム氏とマダム』(1949)、『ボーン・イエスタデイ』Born Yesterday(1950)などを世に放った。その後も『魅惑の巴里(パリ)』(1957)のミッチー・ゲイナーMitzi Gaynor(1931― )、『西部に賭ける女』(1960)のソフィアローレン、『マイ・フェア・レディ』(1964)のオードリー・ヘップバーンなどで女優たちの魅力を最大限に引き出し、『マイ・フェア・レディ』ではアカデミー最優秀監督賞を獲得した。またジュディ・ガーランド主演の『スタア誕生』(1954)は、単に巨大さを売り物にしたのとは異なるシネマスコープの新たな可能性を提示した。

 けっしてハリウッドの規範から逸脱しないキューカーの慎ましい作風は、ときに軽んじられたが、システムを壊乱するのではなく、その一部に徹しきることによって比類ない成果を上げたキューカーこそは、ハリウッド黄金期の撮影所システムを一身に体現した監督であった。ジャクリーン・ビセットJacqueline Bisset(1944― )はフランソワトリュフォーの推薦に従って、自身の主演作『ベストフレンズ』(1981)の監督にキューカーを希望した。そして、これがキューカーの最後の作品となった。

[藤井仁子]

資料 監督作品一覧

雷親爺[シリル・ガードナーと共同監督] Grumpy(1930)
戦争と貞操 The Virtuous Sin(1930)
名門芸術 The Royal Family of Groadsay(1930)
街のをんな Girls About Town(1931)
心を汚されし女 Tarnished Lady(1931)
愛の鳴咽 A Bill of Divorcement(1932)
栄光のハリウッド Born Yesterday(1932)
君とひととき One Hour with You(1932)
女優と真実 Rockabye(1932)
若草物語 Little Women(1933)
晩餐八時 Dinner at Eight(1933)
ロミオとジュリエット Romeo and Juliet(1935)
孤児ダビド物語 David Copperfield(1935)
男子牽制 No More Ladies(1935)
男装 Sylvia Scarlett(1935)
椿姫 Camille(1937)
素晴らしき休日 Holiday(1938)
舞姫ザザ Zaza(1939)
フィラデルフィア物語 The Philadelphia Story(1940)
奥様は顔が二つ Two Faced Woman(1941)
女の顔 A Woman's Face(1941)
火の女 Keeper of the Flame(1942)
ガス燈 Gaslight(1944)
二重生活 A Double Life(1947)
アダム氏とマダム Adam's Rib(1949)
ボーン・イエスタデイ Born Yesterday(1950)
パットとマイク Pat and Mike(1952)
スタア誕生 A Star Is Born(1954)
有名になる方法教えます It Should Happen to You(1954)
ボワニー分岐点 Bhowani Junction(1956)
魅惑の巴里 Les Girls(1957)
野性の息吹き Wild is the Winds(1957)
わが恋は終りぬ Song without End(1960)
西部に賭ける女 Heller in Pink Tights(1960)
恋をしましょう Let's Make Love(1960)
チャップマン報告 The Chapman Report(1962)
マイ・フェア・レディ My Fair Lady(1964)
アレキサンドリア物語 Justine(1969)
青い鳥 The Blue Bird(1976)
ベストフレンズ Rich and Famous(1981)

『キャサリン・ヘプバーン著、芝山幹郎訳『Me キャサリン・ヘプバーン自伝』(文春文庫)』『Gavin Lambert, Robert Trachtenberg ed.On Cukor(2000, Rizzoli, New York)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キューカー」の意味・わかりやすい解説

キューカー
Cukor, George

[生]1899.7.7. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1983.1.24. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国の映画監督。フルネーム George Dewey Cukor。俳優,特に女優への演出や,作品の細部にまで及んだ緻密さに定評がある。1918年に劇場のマネージャー助手として働き始め,のちにニューヨーク州のロチェスターとニューヨークで舞台監督とマネージャーの職についた。1929年トーキー移行期のハリウッドに渡り,『西部戦線異状なし』All Quiet on the Western Front(1930)などでダイアローグ(台詞)監督を務めた。『心を汚されし女』Tarnished Lady(1931)で初監督。『若草物語』Little Women(1933)は大ヒットとなった。そのほか商業的にも芸術的にも成功した作品に,『晩餐八時』Dinner at Eight(1933),『椿姫』Camille(1936),『素晴らしき休日』Holiday(1938),『フィラデルフィア物語』The Philadelphia Story(1940),『ガス燈』Gaslight(1944),『ボーン・イエスタデイ』Born Yesterday(1950)などがある。第2次世界大戦後はスペンサー・トレーシー,キャサリン・ヘップバーンと組んだコメディ『アダム氏とマダム』Adam's Rib(1949),『パットとマイク』Pat and Mike(1952)や,『スタア誕生』A Star Is Born(1954)などのドラマ作品で成功した。『マイ・フェア・レディ』My Fair Lady(1964)でアカデミー賞の作品賞と監督賞を受賞した。

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改訂新版 世界大百科事典 「キューカー」の意味・わかりやすい解説

キューカー
George Cukor
生没年:1899-1983

アメリカの映画監督。ニューヨーク生れ。安定した技巧でウェルメードなハリウッド映画をつくり続けた。〈女優の演出家〉としての力量に定評があり,《椿姫》(1937)のグレタ・ガルボから《スタア誕生》(1954)のジュディ・ガーランドを経て,《マイ・フェア・レディ》(1964)のオードリー・ヘプバーンに至るまで,彼によって個性を再創造されたスター女優は少なくない。《フィラデルフィア物語》(1940),《アダム氏とマダム》(1949)のキャサリン・ヘプバーンとは,キューカー初のテレビムービー《愛の旅路》(1975)まで9作に及ぶ名コンビだった。また《風と共に去りぬ》(1939)の監督に当たっていたキューカーが,クラーク・ゲーブルの不満を買って降ろされた後も,主演女優のオリビア・デ・ハビランドとビビアン・リーは,キューカーを慕って彼の自宅に演技指導をうけにいっていたというエピソードもある。ブロードウェーの演出家から,1929年,トーキー時代を迎えたハリウッドに台詞監督として招かれ,デビッド・O.セルズニックの推薦で監督となる。《若草物語》(1933)で早くも一流監督の座を占め,以来81歳で女優のジャクリーン・ビセットからの要請で彼女のために監督した遺作《ベスト・フレンズ》(1982)に至るまで,その洗練された艶のあるスタイルは衰えを見せなかった。64年に《マイ・フェア・レディ》でアカデミー監督賞を受賞。生涯独身を通した。
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百科事典マイペディア 「キューカー」の意味・わかりやすい解説

キューカー

米国の映画監督。ニューヨーク生れ。舞台演出家をへて,1929年映画界入り。《椿姫》(1937年)のG.ガルボ,《フィラデルフィア物語》(1940年)のK.ヘプバーン,《ガス灯》(1944年)のI.バーグマン,《スター誕生》(1954年)のJ.ガーランドなど,女優から好演技を引き出すことに優れた。B.ショーの戯曲《ピグマリオン》を原作としたA.ヘプバーン主演の《マイ・フェア・レディ》(1964年)でアカデミー作品・監督賞を受賞。

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