キョプリュリュ家(読み)キョプリュリュけ

改訂新版 世界大百科事典 「キョプリュリュ家」の意味・わかりやすい解説

キョプリュリュ家 (キョプリュリュけ)

17世紀後半のオスマン帝国で大宰相(サドラザム)を輩出したアルバニア出身の家系キョプリュリュKöprülüの名は,初代メフメト・パシャMehmet Paşa(1578?-1661)が,後に根拠地としたアマスヤ県キョプリュの地名に由来する。初代メフメト・パシャは,おそらくはデウシルメにより宮廷に入り,地方の諸職を歴任した後,帝国の体制全体が動揺し,ベネチアダーダネルス海峡を封鎖する危機に際し,異例の抜擢により1656年に大宰相となり,粛清・改革を断行し,後を継いだ実子のファーズル・アフメト・パシャ(1635-71)とともに帝国の勢力挽回に貢献した。同家からはその後も,メフメト・パシャの子ファーズル・ムスタファ・パシャ(1637-91),孫のヌーマン・パシャ(1670?-1719),またメフメト・パシャの女婿で第2次ウィーン包囲の指揮者であったカラ・ムスタファ・パシャKara Mustafa Paşa(1634-83)らの大宰相を輩出し,世襲的門閥の少ない完成期以後のオスマン朝における例外的な有力家系となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キョプリュリュ家」の意味・わかりやすい解説

キョプリュリュ家
キョプリュリュけ
Köprülü

17世紀中頃から 18世紀初頭のオスマン帝国において,有能な政治家を輩出した名門祖先はボスニア人とも,アルバニア人ともいわれる。 1656年サドラザムに就任したキョプリュリュ・メフメット・パシャは,軍紀粛正と汚職官僚の処罰とに英断を下した。息子のアフメットとムスタファ,孫のヌーマンらも政治家として活躍した。

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