ソ連邦の革命家,政治家。本名コストリコフKostrikov。ビャトカ県(現,キーロフ州)のウルジュムで生まれた。町人身分の出身。早く両親を失い,孤児院で育つ。1904年カザン工業学校卒業後,シベリアおよびカフカスの諸地域で革命運動を続けた。14-18年には北カフカスのボリシェビキ組織責任者。19年アストラハン軍事革命委員長。20-22年ザカフカス各地のボリシェビキ政権成立に関与し,23年に党中央委員となった。26年2月ジノビエフ派の拠点であったレニングラードの党組織に第一書記として乗りこみ,同組織をスターリン派のもとに糾合。以後一貫してレニングラードにとどまり,30年に政治局員,34年11月には書記局員兼組織局員となったが,その直後に暗殺された。彼は,内戦期に頭角をあらわして20年代の党内闘争でスターリン派の支柱となった一連の地方指導者の代表であり,典型である。しかし,30年代初頭には,スターリンの政策の行きすぎに対し,やや穏健な政策を唱え,スターリンと対立したのではないか,彼の暗殺もこの対立に起因するものではないか,との推測がなされている。
→キーロフ暗殺事件
執筆者:塩川 伸明
ロシア連邦,ヨーロッパ・ロシアの中東部,同名州の州都。カマ川支流ビャトカ川の河港。人口44万8509(2004)。1181年,フリノフKhlynovとして,ノブゴロド商人により創建され,14~15世紀にロシア人が定住した。1489年,モスクワが奪取し,1708年シンビルスク県,27年カザン県にそれぞれ編入された。80年ビャトカVyatkaと改名。流刑地として知られ,ゲルツェン,サルトゥイコフ・シチェドリンなどがここに流された。革命前は皮革・製靴業がさかえ,またウラル,シベリアとの中継貿易が行われてきたが,今日では金属加工,機械製作,タイヤ製造,木材加工が発展している。鉄道がペルミ,コトラス,ボログダ,ニジニ・ノブゴロド(旧名ゴーリキー)へ通じている重要な交通分岐点でもある。ゲルツェンが流刑中に創設した図書館が残っている。1934年にS.M.キーロフにちなんで改称された。
執筆者:高田 和夫
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…ソビエト共産党政治局員,書記局員で,レニングラードの党組織の第一書記でもあったS.M.キーロフが,1934年12月にスモーリヌイで射殺された事件。1930年代後半の大粛清の直接の契機となったことで知られる。…
…国内では1932‐33年の飢饉の傷跡は深刻であった。34年にかけて緊張緩和の措置がとられたが,その年の12月,新任の党書記キーロフが暗殺され,これが旧反対派の所業とされたことは,暗雲の前ぶれであった(キーロフ暗殺事件)。
[スターリン独裁へ]
35年のコミンテルン第7回大会は反ファシズム人民戦線の結成を呼びかけた。…
※「キーロフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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