クシシュトフ ペンデレツキ(英語表記)Krzysztof Penderecki

現代外国人名録2016 の解説

クシシュトフ ペンデレツキ
Krzysztof Penderecki

職業・肩書
作曲家,指揮者

国籍
ポーランド

生年月日
1933年11月23日

出生地
クラクフ近郊デムビツァ

学歴
クラクフ音楽院〔1958年〕卒

受賞
ポーランド作曲家同盟青年部作曲賞(第2回)〔1959年〕「ストロフィ」「ダビデ詩篇」「放射」,グラミー賞(第30回・41回)〔1987年・1998年〕,ユネスコ音楽賞〔1993年〕,世界文化賞(音楽部門,第16回)〔2004年〕,マラフスキ作曲コンクール管弦楽部門第1位〔1962年〕「カノン

経歴
1959年「ストロフィ」「ダビデの詩篇」「放射」で第2回ポーランド作曲家同盟青年部作曲賞を独占、さらに翌’60年ドナウエッシンゲン音楽祭で弦楽器打楽器のための「アナクラシス」が初演され、西側作曲界で一躍注目された。’62年「カノン」でマラフスキ作曲コンクール管弦楽部門の第1位を獲得。’65年代表作「ルカ伝による受難曲」を発表、幅広い層から評価される。ほかに、52の弦楽器のための「ヒロシマの犠牲者への哀歌」(’60年)、「フルーレセンセス」(’62年)、オペラ「ルードンの悪魔」(’69年)、オラトリオキリスト復活」(’71年)、交響曲第1番(’73年)、バイオリン協奏曲(’76年)、「テ・デウム」(’79〜80年)、交響曲第2番「クリスマス」(’80年)など。初期トーン・クラスター(密集音群)を多用するなど前衛的な手法で知られたが、次第に宗教的・伝統的な作風に変わっている。’72年からクラクフ音楽院院長、’73〜78年エール大学作曲科教授。指揮者としても活動し、’88〜92年北ドイツ放送交響楽団首席客演指揮も務めた。’76年初来日。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 の解説

クシシュトフ ペンデレツキ
Krzysztof Penderecki


1933.11.23 -
ポーランドの作曲家。
クラクフ音楽院院長。
デンビツァ生まれ。
1958年クラクフ音楽院卒業後、’59年ソプラノ・朗読・10の楽器のための「ストロフィ」、混声合唱と打楽器の「ダビデの詩編」、2群の弦楽合奏「放射」を発表し第2回ポーランド作曲家同盟青年部作曲賞受賞、世界的注目を浴び、’60年「アナクラシス」、52の打楽器のための「広島の犠牲者にささげる哀歌」で4分音やトーン・クラスターの独特なスタイル表現、前衛音楽の主導的地位を確立。他に’65年混声合唱とオーケストラの「ルカの受難曲」、’69年オペラ「ルードンの悪魔」等の作品があり、’72年母校院長となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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