クライン(Felix Klein)(読み)くらいん(英語表記)Felix Klein

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

クライン(Felix Klein)
くらいん
Felix Klein
(1849―1925)

ドイツの数学者。デュッセルドルフ生まれ。ボン大学を卒業、そこでプリュッカー助手となった。1870年パリに赴き、多くのフランスの数学者に学び、またノルウェーから出てきたリーとも会って、ともに群論の数学における中心的な意義を深く知った。1872年エルランゲン大学教授、1886年ゲッティンゲン大学教授となり、終生この職にあった。エルランゲン大学就職講演は、幾何学とは、ある変換群によって不変な性質を研究するもので、変換群の分類によって幾何学の分類ができるということを主題としたもので、「エルランゲン目録」Erlangen Programとよばれている。これによって、それまでに知られていた種々の幾何学の相互関係ばかりでなく、それ以外の幾何学の可能性も示され、さらに数学の諸分野での、分類問題における群概念の意義が明らかにされた。1871年には、非ユークリッド幾何学ケーリー計量をもつ射影幾何学として認めうることを示し、幾何学の系統化に対する重要な糸口をつけていた。エルランゲン目録を中心とするクラインの幾何学思想は、それ以後の幾何学研究に多大の影響を与えた。

 クラインの業績は、そのほか数学の多くの部門にわたり、「代数関数リーマン理論」(1882)や「二十面体に関する講義」(1884)も有名である。しかし晩年の講義のなかで述べたところによると、彼自身がもっとも力を注いだのは保形(ほけい)関数の研究であったという。

 保形関数の研究については、ポアンカレとの交流も、その進展の大きな要因となっていた。若い日のパリ遊学のころにリーとともに群論の数学における重要性を認識し、その後二人は群論の二つの大きな分野をそれぞれに集中的に研究することとなった。そして彼自身およびその弟子たちによる多くの研究分野において、群概念の応用を図った。最後に教授となったゲッティンゲン大学は、ガウス以来、ディリクレ、リーマンらの伝統をもち、数学研究の世界的中心として、世界の各地から研究者が集まった。クラインの講義は名講義と評され、1925年に没してのち、講義のノートのいくつかが書物として出版されている。

 なお、数学教育にも関心が深く、ドイツにおける数学教育改革運動を指導したり、教育者のための講義なども行っている。『高い立場より見た初等数学Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(1924、1925、1928)はその講義録で、名著の一つとされている。

[茂木 勇]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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